10月22日 主日週報と説教要約

主はあなたの癒し主

The Lord Who Heals You 【出エジプト記15:22-27】 202310.22 (主日)

序論

 聖書には日にちに対する直接的な記録はありますが、曜日に対する直接的な記録はありません。しかし聖書を詳しく読んで見ると、7日を周期とした1週間、30日を周期とした1ヶ月、12ヶ月を周期とした1年として、計算し記録されています。 聖書では大きな行事を記録して、神様のご計画を知らせています。旧約聖書の全ての焦点は、来たるべきキリストに合せてあり、キリストが中心です。勿論、新約聖書も来られたキリストが中心です。 世界が存在する前にキリストの中で予定された、神様のご計画と目的は贖罪史的に言うと、神様の恵みの栄光を永遠にほめたたえる事にあります。このように良き神様が啓示された日にちと曜日を捜し出し、主のおきてと定めを守る事によって、霊肉共に癒しを受け、最後には霊の体をもって復活して、世々限りなく神様の恵みの栄光をほめたたえる聖徒にならなければなりません。

 今日はイスラエルの人々が、あんなこんなの理由のために失ってしまった安息日を、神様が真っ先に探し出して下さったその記録が見られる、本文を中心にして説教しようと思います。イエス様も安息日に多くの病人を直し、また癒されました。旧約の癒し主なる神様は、新約の癒し主イエス・キリストです。

1.日にちと曜日の神秘的な啓示

(1)創造の原理: 神様は回復の過程を1週間で完成されました。6日間で創造(回復)を終えられました。そして7日目を安息日と定められました。神様はその日を聖なる日として祝福されました。安息日は安息と聖と祝福の日として、要約する事が出来ます。

(2)失われた安息日: 神様は安息日を正確に覚えておられます。しかし人間は堕落した後、安息日を正確に覚えられなくなりました。その上、ノアの洪水以後には地球の軸が23.5度傾いて、誰も1年の日にちを正確に計算する事が出来なくなりました。 太陽暦は1年が365日です。しかし正確ではなく、4年に1度ずつ閏年(うるうどし)を置いて解決しています。太陰暦は1年が354日です。陰暦も同じように閏年を置いて、この誤差を解決しています。聖書は1年が360日です(ノア時代基準)。このように見ると、安息日を正確に計算する事が出来なくなっていることが分かります。結局、安息日を忘れてしまっていたのです。更にヘブル人たちが430年間エジプトに住みながら、彼らの暦(こよみ)を使っていて、最後には奴隷として暮らしていたので、計算するのも難しかったのです。

(3)過越しの祭りの子羊: 過越しの祭りの子羊をほふる日は1月14日です。この子羊を1月10日に選んで、5日間綿密に調べて欠陥もなく傷もない羊をほふって、その血を2本の門柱とかもいにつけた後、羊を火で焼いて食べる掟があります。出エジプト記12章に詳しく書き記されています。 イエス様はこの日に合わせて、過越しの祭りの6日前にべタニヤ行かれ(ユダヤ人たちにとっては翌日となる)、晩餐の時にべタニヤのマリヤから油注ぎを受けられました。5日間は大祭司と律法学者、パリサイ人たちの尋問を受けられて、過越しの祭りの日に十字架につけられて死なれました。

2.失われた安息日を見つけられた神様

(1)種を入れないパンの祭り: 過越しの祭りは1月14日です。引き続き「種を入れないパンの祭り」は1月15日から21日までです。出エジプトしたイスラエルは種を入れないパンを食べ、2月21日に紅海(葦の海)を渡ってシュルの荒野へ出て行き、そこでマラに至りました。「モーセはイスラエルを葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いた。彼らには水が見つからなかった。彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。」(出15:22-23)

(2)マラの試み: 1月21日から3日間が過ぎたので、マラに到着した日は1月24日となります。この日をユダヤ人たちの暦(カレンダー)を見ると、土曜日であり安息日でした。マラの苦い水を飲んだ民たちが、飲めない水であると知って、モーセに向かって不平不満をつぶやきました。「モーセは【主】に叫んだ。すると、【主】は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。その所で主彼に、おきてと定めを授け、その所で彼を試みられた。」(出15:25) 神様のおきて(ホーク)と定め(イシュパート)は、申命記5:1を見ると、十戒の要約である事が分かります。シナイ山で律法を受けて宣言した約40年後に、ヨルダン川の向こうの地ベテ・ペオルの前の谷で再び宣言されました(申4:46)。 出エジプト記20章と、申命記5章の十戒を比較して見ると特異な点があります。出エジプト記では安息日を守る事が、創造の神様の命令でなされていますが、申命記では出エジプトさせた救いの神様の四つの戒めと、五つの戒めだけが「あなたの神、【主】が命じられたとおりに」と言う御言葉によってなされています。 そうならばマラで既におきてと定めを教えられ、試みられた御言葉が、十戒の要約として見る事が出来るのです。即ち、神を愛しあなたの隣人を愛しなさいと、十戒を要約されたイエス様の御言葉と通じるのです。神様は安息日を忘れてしまった彼らが、安息日を見つけ出せるようにしてあげたのではないでしょうか。

(3)マナを通しての教訓: マナの教訓を通して、神様はイスラエルの民に安息日を見つけ出させました。「ついで、イスラエル人の全会衆は、エリムから旅立ち、エジプトの地を出て、第二の月の十五日に、エリムとシナイとの間にあるシンの荒野に入った。」(出16:1) 彼らが2月の15日にシンの荒野に到着し、神様は16日から6日間はマナを降らせて下さいました。ところが6日目の21日(金)には2倍のマナを降らせ、翌日2月22日の安息日にはマナを降らせませんでした。この事を通して、安息日を聖なる日として守るように教訓を与えられたのでした。この日を逆追跡すると、1月24日が安息日であった事が分かります。 イエス・キリストは新しい安息日を与えて下さいました。人間の罪と死の問題が解決されないならば、神様は安息なさることが出来ません。この問題が解決され、復活の初穂であるキリストが復活される日を新しい安息日、即ち「主日」と言います。主が再臨される時まで主日を聖なる日として守り、再臨される花婿なるイエス・キリストを待ち望む、聖徒とならなければなりません。

3.アドナイ・ラッパー「主は癒す者」 (15:26)

(1)アドナイ・ラッパーの啓示: 「そして、仰せられた。もし、あなたがあなたの神、【主】の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行い、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは【主】、あなたをいやす者である。」 主(アドナイ)なる神様は、ご自分のおきてと定めに従順に聞き従う者たちを、癒すと仰せられました。これは聖徒が復活して、主と共に千年王国に入る時に完成されるでしょう。今日でも主は癒しておられ、悪魔は働いています。しかし千年王国に入る時、悪魔と悪霊どもは底知れぬ所に監禁されるのです。

(2)栄光のうめき: ロマ書8章を見ると、被造物全体が今に至るまで共にうめき、聖徒が共にうめき、聖霊も私たちの贖いの完成のために、共に産みの苦しみをしていると記されています。神様が全ての事を完全に回復される時には、被造物全体も贖われるのです。

(3)千年王国のひな型 (出15:27): 「こうして彼らはエリムに着いた。そこには、十二の水の泉と七十本のなつめやしの木があった。そこで、彼らはその水のほとりに宿営した。」 この御言葉は千年王国で楽しむ、聖徒たちの祝福のひな型となるでしょう。神様の試みが終わるならば、父なる神様は子どもたちに最高最上の祝福を下さるのです。

結論

 神様の暦(カレンダー)と人間の暦は一致しません。私たちは神様の暦の通りに信じて従い、今生(この世に生きている間)と、来生で祝福を受ける聖徒にならなければなりません。人間の生命維持のために最も必要な物は水です。二番目にに必要なのはパンです。この二つを通して、神様は失われた安息日を見つけ出せるようにして下さいました。またマラで与えられたおきてと定めに対する申命記の記録を通して、十戒の中心が何であるかを教えられ、イエス様はそれを「神の愛と隣人愛」として要約して下さいました。新約では互いに愛し合いなさいと言う新しい戒めで、一つに圧縮して下さいました。イエス・キリストは独り子として世に来られ、過越しの祭りの小羊として身代わりに、贖いの死を遂げられました。キリストは復活されながら長子の称号を得られ、私たちがイエス・キリストの兄弟となるようにして下さいました。また復活を通して新しい安息日、即ち、主日を与えて下さいました。これはキリストの再臨と関係のある大切な事です。

(1)失われた安息日を、どのようにして見つけ出す事ができますか。

(2)安息日と主日の関係は何ですか。

(3)アドナイ・ラッパーの意味は何ですか。

(4)安息と千年王国はどのような関係ですか。

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