
2026년 1월 18일

2026.01.18. (主日)
題目:糧と着る物
本文:イザヤ書 3:6-8
6 ある人が父の家でその兄弟をつかまえて言う。「あなたには着る物がある。私たちの指揮官になってくれ。この滅びをあなたの手の中に置け。」7 その日、彼は声を張り上げて言う。「私は癒やす者にはなれない。私の家には糧もなく、着る物もない。私を民の指揮官にしないでくれ。」8 エルサレムは滅び、ユダは倒れた。彼らの言葉と行いが主に逆らい、その栄光の御目を怒らせたからである。
はじめに
イザヤ書2章では、エルサレムの燦然たる栄光についての御言葉を聞きました。ところが、3章に入ると、エルサレムの廃墟の惨状を目にすることになります。その原因と理由はどこにあるのでしょうか。
神様はイザヤ書1章で、罪を悔い改める者の紅い罪を、雪のように、羊の毛のように白く洗ってくださると約束されました。そして2章では、福音の栄光を通じたエルサレムの栄光を語られました。しかし、不従順で罪を悔い改めない者たちの恥辱に対する警告もなさいました。
3章では、イスラエルが罪を悔い改めないために、エルサレムが廃墟となることを告げられています。それは、バビロンによって滅ぼされ、さらにはギリシャ、ローマによって完全に滅びることへの警告の御言葉です。その中に、糧(食べ物)と着る物についての教訓があります。
創世記1章と2章、そしてヨハネの黙示録21章と22章は、罪のない時代(無罪時代)と言われます。人類は「食べる物」によって堕落し、「着る物」によって堕落した歴史が始まり、そして終わります。創世記3章から黙示録19章までは、衣服にまつわる事件で始まり、衣服にまつわる事件で終わるのです。そして、黙示録20章は千年王国の記述です。
今日は、糧と着る物に関する聖書の教訓を学んでいきたいと思います。
1. エルサレムの廃墟 (1-3)
バビロンによって
神の民の犯罪により、戦争がエルサレムで絶えることはありませんでした。バビロンの時代、ネブカドネザルによってエルサレムは滅び、神殿は破壊され、指導層の人々は捕虜として連れ去られました。ペルシアの王キュロスが現れて解放と自由を得るまで、エルサレムはバビロンの統治下に置かれました。
ギリシャによって
彼らはバビロンから70年で解放され、故郷に戻って神殿を再建しました。そして再び国を立て直しました。しかし、ギリシャがペルシアを征服したことで、再び変化が起こりました。ギリシャによって再び踏みにじられ、神殿に偶像の血を捧げられるという屈辱の歴史がありました。
ローマによって
ローマによるエルサレムの破壊は、神殿さえも消失し、ユダヤ人が皆散らされるという完全な破壊でした。この状態は約2,000年もの間続きました(紀元70年〜1948年、計1,878年間)。神の御言葉の宣告は、そのまま成就したのです。1948年5月14日、実に1,878年ぶりに、消えていたイスラエルが歴史の舞台に登場することとなりました。
2. 糧と着る物の欠乏 (3:6-8)
指導者の不在
エルサレムが破壊されると、指導者たちが消えました。一般の民は指導者を失い、右往左往してさまよいました。国であれ、教会であれ、家庭であれ、指導者がいなくなれば混乱に陥ります。家庭が壊れ、教会が散らされ、国が滅びる悲しみと苦しみを、何に例えることができるでしょうか。
糧の欠乏
人々はある人に対し、「あなたには着る物と糧があるから、私たちの指導者になってくれ」と要請しました。しかし、その人は「自分にも糧はなく、着る物もない。だから指導者にしないでくれ」と拒否しました。
霊的に見て、神の御言葉は「命の糧」です。悪しき時代になると、アモスの預言にある通り、神の御言葉を聞き取ることのできない飢饉が来ることを預言しています。「『見よ、その日が来る。──神である主の御告げ── わたしは地上に飢えを送る。パンがないことによる飢えでもなく、水がないことによる渇きでもない。主のことばを聞くことへの飢えである。』」(アモス 8:11)
今日、神の御言葉の糧を時にかなって分かち与えてくれる指導者が、切に求められる時代です。
衣服の欠乏
糧と衣服は、人間の基本的な必需品です。裸であれば寒さや暑さから身を守ることができず、恥をかきます。アダムとエバが罪を犯した時、最初に行ったのは無花果(いちじく)の葉で腰布を作り、身を隠すことでした。
糧と衣服が乏しい中で、それらを持っている者に指導者になってほしいと頼みますが、彼もまた「自分にはそれらがない」と言いました。飢え、裸の時代において、糧と衣服を分かち合える者が指導者になれるのです。
私たちには、主がくださった命の糧と上着があります。聖徒には、命の糧と「三つの衣」が必ず必要です。救いの上着(義の上着)、聖霊の権能の上着、そして亜麻布の白い衣、すなわち「礼服」です。
3. 正しい者の祝福、悪しき者の災い (3:10-11)
「10 正しい者に言え、幸いであると。彼らは自分の行いの実を食べるからだ。11 悪しき者には災いだ。自分の手で行った報いを受けるからだ。」
正しい者の祝福
国が滅びゆく最中でも、祝福を受ける者がいます。それが「正しい者(義人)」です。正しい者とは、神に認められた人のことです。彼は世に頼らず、神にのみ信頼します。罪を悔い改めます。高ぶることはありません。彼らは信仰を行動に移す者です。彼らはイエス・キリストの義を信じ、義とされる聖徒のひな形です。神が定められた義とは、ただ信仰によってのみ受け取ることができる「称義」です。
悪しき者の災い
神様が国を裁かれるとき、悪人の行いに応じて裁かれます。神の裁きは歴史上、部分的に執行されることもあります。この裁きの原理は、最後の審判の原理と同じです。
神様は、独り子を救い主として遣わし、その働きのすべてを仰ぎ見て信じる者に「永遠の命」を与えると約束されました。しかし、キリストを拒絶すれば、神の裁きを避けることはできません。
裁きの中でも憐れみの神
これまでに犯した罪や慢心、不従順などは裁きの対象となります。しかし、憐れみ豊かな神様は、悔い改めるなら怒りの中でも憐れみを注いでくださいます。
ニネベは数百年もの間、悪行を重ねましたが、ヨナのメッセージを通じて悔い改めたことで、一瞬にして赦されました。それによって裁きが延期されました。しかし、再び犯罪を繰り返したとき、ニネベ(すなわちアッシリア)は完全に滅亡し、歴史の中から姿を消しました。
神様は怒るのに遅く、裁きの中でも憐れみを施してくださる良い神様です。悔い改めれば生きられます。高慢を捨て、謙遜になりましょう。イエス・キリストの義を信じましょう。そうすれば、生きる道が開かれます。
このような恵みが与えられているにもかかわらず、シオンの娘たちは虚栄心(3:16-26)に囚われて行動しました。これに対する神の警告が与えられました。御言葉への不従順、高慢、虚栄は、神の裁きを免れない条件です。しかし、私たちに希望があるのは、警告の御言葉をくださること自体に、悔い改めて再び生きることを願われる神の憐れみの心が込められているからです。
結論
イスラエルは神の時計(タイムスケジュール)のような国です。神様はイスラエルを通じて、世界の歴史を治める方法を語られます。
終わりの時が来れば、食べ物がないための飢えではなく、神の御言葉という糧の飢餓の時代が来るでしょう。神の御言葉を叫ぶ者は多いです。しかし、御言葉が洪水のように溢れていても、それが「生ける水」とはならないことがあります。
その命の糧とは、唯一、イエス・キリストだけです。キリストの宝血で清められた人々は、救いの肌着と義の上着を着て、再臨の主を空中で迎えることでしょう。
世が変わっても変わることのない神の御言葉と聖霊に満たされ、永遠の命という福を受けなければなりません。また、飢饉の時であっても、油の瓶の油が絶えず、小麦粉が出続けるという祝福が臨むことを祈ります。