6月29日(主日)説教要約
信仰の力

## 信仰の力
**本文:** ヘブライ人への手紙 11:1-3
1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を認識することです。
2 昔の人たちは、この信仰によって証しされました。
3 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって造られたこと、従って見えるものが、現れているものからできたのではないことを悟るのです。
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### はじめに
私たちは、日常生活においても信仰なしには生きにくいものです。自動車、飛行機、電車などの交通手段を利用する際も、信じて利用します。呼吸をし、水を飲み、食べ物を口にするのも信仰に基づいています。
信仰の世界においても同じ原理が適用されます。「6 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられること、また、神を求める者には報いてくださることを信じなければならないからです」(ヘブライ人への手紙 11:6)。
したがって、この信仰には力があります。信仰の世界における信仰の力は偉大です。もちろん、信仰の賜物を受けて働く人もいますが、すべての聖徒は信仰によって生きるべきです。
では、この信仰の定義とは一体何でしょうか? 信仰の源、すなわち、どこからどのように信仰が生まれるのでしょうか? 信仰の力とはどのようなものでしょうか? 信仰は救い、永遠の命と直結しています。それゆえ、信仰の力は永遠の命と永遠の罰を決定する力であり、私たちの人生において最も重要なものなのです。
### 1. 信仰の定義(ヘブライ人への手紙 11:1)
「1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を認識することです。」
#### 信仰は望んでいる事柄の確信
信仰とは、望んでいる事柄の確信であると記されています。つまり、信仰の前に望む事柄があったということです。「望む事柄」は漢字で「希望」と表されます。だとすれば、希望を持つことで、それが信仰によって現実のものとして現れると考えることができます。このように見ると、信仰と希望は不可分の関係にあると言えるでしょう。
私たちの望むものとは何でしょうか? 様々なものがあるでしょうが、たった一つだけ挙げるとすれば、キリストを望んでいるのではないでしょうか?
#### 信仰は見えない事柄の認識
信仰は見えない事柄の認識であると記されています。私たちは今、天国や神の国を目で見ることはできません。イエス様も見ることはできません。第三の天も見ることはできません。もちろん、天使や悪魔、悪霊を見ることもできません。しかし、その証拠を見ることはできます。私たちは信仰の目で、見えない事柄の証拠を見るのです。
時が満ちれば、キリストが空中に再臨される時、生きている者も、主にあって眠っている者、すなわち死んだ者も、復活の体を受けて空中で出会い、常に主と共にいるのではないでしょうか?
#### 万物の創造以前におられる神
3節には、「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって造られたこと、従って見えるものが、現れているものからできたのではないことを悟るのです」とあります。すべての世界は神の言葉によって造られました。それゆえ、私たちの目に見えるものは、現れているものからできたのではありません。すべての世界が現れる以前に、言葉が存在していました。この言葉は神と共にいました。この言葉はすなわち神です。神が人間の肉体をまとって来られた方がイエス・キリストです。その方の中に命があり、その命は人々の光です。その方を通してすべての世界が造られたのです。
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### 2. 信仰の源(ローマ人への手紙 10:17)
「17 このように、信仰は聞くことから始まり、聞くことはキリストの言葉を通して実現するのです。」
#### 信仰は聞くことから始まる
信仰は聞くことから生じます。それゆえ、信仰を持つにはまず聞かなければなりません。人は聞いた通りに話すようになります。人の肌の色や人種に関わらず、その口からは聞いたものが出てきます。日本で生まれ、日本語を聞けば、口から日本語が出てきます。同じ原理で、中国、韓国、アメリカなど、生まれた国で聞いた言葉が口から出てくるのです。
#### 聞くべきはキリストの言葉
何を聞けば信仰が生まれるのでしょうか? キリストの言葉を聞かなければなりません。キリストの言葉とは、旧約聖書はキリストについての言葉です。新約聖書はキリストの言葉です。新約聖書はキリストの四福音書と歴史書である使徒の働き、そしてキリストの分身とも言える使徒たちによって書かれた手紙、そしてヨハネの黙示録の預言の言葉です。この言葉を聞く時、信仰が生じ、その信仰によって永遠の命を得るのです。
#### 信仰の創始者、完成者
「2 信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめなさい。この方は、ご自分の前にある喜びのために、十字架の苦しみを耐え忍び、その辱めをものともせず、神の玉座の右に座られました」(ヘブライ人への手紙 12:2)。
「16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を得るためである」(ヨハネによる福音書 3:16)。
上記の聖句は、聖徒たちが皆暗唱しているよく知られた言葉です。私たちの聖書には、キリストを信じる者が永遠の命を得るとありますが、原文には「キリストに向かって信じる者」と記されています。つまり、キリストは固定された方ではなく、神の計画に従って生きて動かれる方なのです。その方に私たちの目をキリストに固定する時、彼に向かって信じるのです。そうしてこそ、私たちも信仰の創始者であり完成者であるキリストを信じ、永遠の命を得ることができるのです。
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### 3. 信仰の力(ハバクク書 2:4)
#### ハバクク書(ハバクク書 2:4)
「4 見よ、高慢な者は、その心はまっすぐではない。しかし、正しい者は、その信仰によって生きる。」
ハバククは罪を犯した祖国と民を見て、神に抗議めいた質問をしました。なぜこのような祖国と民をそのままにしておかれるのかと。すると神は、バビロンを通して懲らしめる、と答えられました。
ハバククは再び抗議めいた質問をします。神が直接懲罰を下さず、異邦人を通して罰を与えるのかと。すると神は、そのような状況にあっても、正しい者は信仰によって生きると言われました。
#### パウロ(ローマ人への手紙 1:17)
「17 福音には神の義が啓示されており、それは信仰に始まり、信仰に終わる。すなわち、「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりである。」
パウロは、信仰によって義とされて生きるという義認の教理を完成させました。信仰には神の義が示されています。神が義とされるなら、その人は永遠に義なる人となるのです。キリストの内にある者は、永遠に誰も罪に定めることはできません。それゆえ、キリストの内にある者は、信仰から信仰へと導かれます。この信仰はすなわちキリストの義を信じることであり、その義は永遠の命に至らせるものです。
#### 信仰の力
信仰は生きる力である、ということです。植物にも生きる環境と生きる能力があり、魚にも生きる環境と生きる能力があり、動物にも生きる環境と生きる能力があります。聖徒は信仰によって生きる者です。キリストに向かう信仰は、まさに命の源となるのです。信仰の力は様々な形で現れます。しかし、一言で言うならば、信仰の力は永遠の命を得させる力があります。これほど尊く、価値があり、偉大な力はないでしょう。
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### 結論
信仰の力についての説教をいたしました。
まず、信仰の定義を述べました。
次に、信仰の源、すなわちどのようにして信仰が生じるかについて説教しました。
最後に、信仰の力について説教しました。
どうか皆様が信仰の勇士となられますように。イエス様は、終わりの時に信仰を見出すだろうか、と言われました。終わりの時を迎えた私たちは、主が信仰を見出すことができる少数派、すなわち信仰の精鋭部隊となることができればと願います。