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12月28日(主日)説教要約

キリストの再臨とさばき

12月28日(主日)説教要約

## 2025.12.28. (主日)

**題目:キリストの再臨とさばき**
**聖書:ヘブル人への手紙 9章 26-28節**

> 26 もしそうだとすれば、世の初めから幾度も苦しみを受けなければならなかったでしょう。しかしキリストは、世の終わりに、ご自分をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、一度だけ現れてくださいました。
> 27 人間には、一度死ぬことと、その後にさばきを受けることが定まっているように、
> 28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分をささげられましたが、二度目には、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々に救いを与えるために現れてくださいます。

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### **【はじめに】**

ヘブル人への手紙9章では、儀式といけにえについて説明しています。旧約聖書の儀式といけにえは、あくまで影にすぎず、不完全なものでした(9:1-10)。一方、新約のいけにえは実体であり、完全なものです。それは、キリストの血によって捧げられた祭儀だからです(9:11-22)。そのいけにえは、たった一度で永遠に捧げられたものであることが証明されています(9:23-28)。

結びの部分では、キリストの初臨(第一の降臨)の目的と、再臨の目的について記されています。この過程でいくつかの重要な言葉が登場します。それは「血を流すことがなければ、罪の赦しはない」「人間には、一度死ぬことが定まっており、その後にさばきがある」「キリストは罪の贖いのために現れ、救いに至らせるために、罪とは関わりなく、ご自分を待ち望む人々に二度目に現れてくださる」ということです。

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### **1. キリストの初臨 (9:26)**

「しかしキリストは、世の終わりに、ご自分をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、一度だけ現れてくださいました。」

* **旧約の不完全ないけにえと儀式**
旧約聖書はキリストについての記録です(ヨハネ5:39)。旧約時代の儀式といけにえは影に該当し、不完全なものでした。キリストが世に来られる前であったため、キリストの影としての役割を果たすのみでした。旧約のいけにえは、毎年繰り返されるものでした。
* **キリストの完全ないけにえ**
新約のいけにえは、イ・ス・キリストの十字架の血潮によって、一度限りで永遠かつ完全なものとして捧げられました。キリストは天の聖所に入り、いけにえを捧げられました(23-24節)。そして、そのいけにえが一度きりで永遠に完全なものであることが明らかにされています(25-28節)。
* **キリストの降臨(初臨)**
キリストの降臨(初臨)は「世の終わり(末世)」であると言われました。ペテロもまた、キリストが来られた時から末世であると述べています(Ⅰペテロ1:5, 20)。一方で、Ⅱペテロ3:5の御言葉は、世の終末を意味する末世について語っています。したがって「末世・世の終わり」とは、キリストの降臨(受肉)によって始まり、キリストの再臨によって完成することを意味します。

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### **2. 人間の死とキリストのさばき (9:27)**

「人間には、一度死ぬことと、その後にさばきを受けることが定まっているように」

* **罪の報酬は死**
すべての人が死ぬことは、神によって定められたことです。それは、すべての人が罪を犯したため、神の栄光を受けることができないからです(ローマ3:23)。そして「罪の報酬は死である」と宣言されました(ローマ6:23)。したがって、すべての人は死ぬことになっています。
「一度死ぬ」とはどういう意味でしょうか? 旧約聖書には、サレプタのやもめの息子やシュネムの女の息子など、二度死んだ人々が登場します。新約聖書でも、ヤイロの娘、ナインのやもめの息子、ラザロ、ドルカス、ユティコなどは二度死にました。したがって、この表現は教理的な記述というよりは、人間の存在に関する一般的な記述として理解すべきです。
* **キリストのさばき**
キリストは審判主(さばき主)となられます。特に、人の子となられたことにより、神はキリストにさばきを行う権威を与えられました(ヨハネ5:27)。
サタンはすでにさばきを受けており、刑の執行を待つのみです(ヨハネ16:11)。キリストが空中再臨される時、信徒は携挙され、キリストの裁きの座でさばきを受けることになります(Ⅱコリント5:10、Ⅰテサロニケ4:17)。これは別名「報奨のさばき」とも呼ばれます。その報いとは、キリストの花嫁となり、千年王国でキリストと共に治める祝福(マカリオス)です。
千年王国が終わった後、不信者を含む全人類が「大きな白い御座(白頭座)」の前でさばきを受けることになります。いのちの書に名がある者は新しい天と新しい地に入り、永遠に生きます。それ以外の者は、サタン、獣、反キリスト、偽預言者と共に、永遠の火の池で苦しみを受けることになります。

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### **3. キリストの再臨 (9:28)**

「二度目には、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々に救いを与えるために現れてくださいます。」

* **一度だけ捧げられたキリスト**
言(ことば)が肉となり、私たちの間に幕屋を張られた(住まわれた)キリストは、十字架の上で一度だけご自分を捧げられました。一般的に人間が一度死ぬように、キリストも一度だけ死なれました。人間の死は罪の結果ですが、キリストの死は、罪を犯した人間の罪を贖うための「代贖の死」でした。
* **キリストの復活と昇天**
キリストは死から復活し、眠った者の初穂となられました。復活後、40日の間、天の御座に座す準備をされつつ、弟子たちに神の国の統治と聖霊降臨について教えられました。
復活から40日後、キリストは昇天されました。この天は「第三の天」であり、誰も上ったことのない神の御座がある場所です(ヨハネ3:13)。そこから10日後、五旬節(ペンテコステ)の日に聖霊を送られました。聖霊なる神は、キリストが再臨されるまで、御子がご自身の血で買い取られた教会と共にいてくださいます。
* **キリストの再臨**
キリストは「救いに至らせるために、罪とは関わりなく、ご自分を待ち望む人々に二度目に現れてくださる」とあります。
十字架において贖いは完成しました。再臨の時には、救われた聖徒たちを一つに集められます。彼らは「教会」と呼ばれ、「小羊の妻」「キリストの花嫁」とも呼ばれます。
私たちの救いは、世の始まる前に予定されており、キリストの十字架から始まり(過去)、現在は進行形(現在)であり、キリストの再臨と聖徒の復活の時に完成(未来)します。キリストは、その再臨を待ち望む者たちに二度目に現れてくださいます。一度目は受肉して33年半この世におられた「初臨」を指し、二度目はキリストを待望する者たちのために空中に現れる「再臨」を指します。

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### **【結び】**

旧約と新約の違いは何でしょうか? ヘブル人への手紙9章では、儀式といけにえを比較して説明しています。旧約の儀式といけにえは、一時的で不完全なものでした。
それに対し、新約の儀式といけにえは、キリストの血によって捧げられた完全なものです。旧約のすべての儀式といけにえは影にすぎませんが、新約はすべてキリストという実体です。キリストのいけにえは、ご自身の血によって一度で永遠に捧げられたものです。
再び来られるキリストを待ち望みながら、整理すべきことや悔い改めるべきことを清め、新しい年を迎えようではありませんか。

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