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2025年1月11日
1月12日 週報
タイトル: 神の御言葉の力
聖句: ヘブル人への手紙 4:12-13
12 神の言葉は生きていて力があり、どんな両刃の剣よりも鋭く、魂と霊、関節と骨髄を分けるほどに刺し通し、心の思いと意図を見分けることができます。13 創られたもので神の前に隠れているものは何一つなく、すべてのものが、私たちが申し開きをするその方の目の前に裸でさらけ出されています。
序論
皆さんは「言葉」と聞いたとき、何を思い浮かべるでしょうか。これに対して一言で答えるのは難しいかもしれません。今日は聖書に耳を傾け、その答えを探してみたいと思います。
聖書は、神ご自身を「言葉」として語っています。また、聖書に記された言葉を「神の言葉」と呼びます。そして、その言葉が宣言されるとき、それを「御言葉の宣言」と言います。さらに、「言葉」の人格性に触れ、それが肉となったイエス・キリストを意味すると説明しています。
したがって、神の御言葉には神の力が宿っています。本日は、聖書が教える御言葉の力とは何かを考えたいと思います。そして、私たち自身もその御言葉の力を体験したいと願います。
1. 御言葉の意味
・神ご自身
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった」(ヨハネ 1:1-2)。
聖書は、旧約聖書の預言者たちを通して語られた方が神ご自身であると教えています。そして、肉をまとい世に来られた「言」はイエス・キリストです(ヨハネ 1:14)。彼は神の独り子であり、復活された後には長子となられました。その中には命があり、その命は人々の光です。
・記された神の御言葉
聖書の66巻はすべて聖霊の感動によって記されています。旧約聖書39巻の内容は、来られるキリストについての言葉です(ヨハネ 5:39)。一方、新約聖書の内容は、肉を取られたキリストの言葉です。
4つの福音書はイエス・キリストの働きを記録したものです。そこには、イエスの誕生、成長、公生涯(3年半)の働き、十字架における贖いの死、3日目の復活、40日間弟子たちと共に過ごされたこと、昇天、聖霊降臨、再臨の約束、審判、千年王国、白い御座の審判、新天新地に設けられる聖なる都「新しいエルサレム」などが記されています。新約聖書27巻は、このように記された神の御言葉なのです。
・宣言される神の御言葉
記された神の御言葉を読み、聞き、教え、解釈し、説教し、伝えるとき、それは「宣言される神の御言葉」と呼ばれます。記された御言葉(ロゴス)が主なる神、すなわちイエス・キリストの御名を表すとすれば、宣言される御言葉(レーマ)は、その御名が呼ばれるとき、聖霊が臨み働かれる言葉であると言えるでしょう。
2. 御言葉の力 (創世記 1:1-3、ヨハネ 1:1-3)
・創造の力(創世記 1:1-3)
「初めに神は天と地を創造された。地は混沌として何もなく、闇が深い淵の上にあり、神の霊が水の面を動いていた。そして神は『光あれ』と言われた。すると光があった」(創世記 1:1-3)。「すべてのものはこの方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない」(ヨハネ 1:3)。
神の創造の力は、その御言葉によって現れます。神の思いはそのまま現実となります。人間の目には、神が言葉を発されたときにそれが現れたように見えます。ですから、創造や製造が神の御言葉によってそのまま実現したと聖書に記されているのです。
・生まれ変わらせる力
「イエスは答えて言われた、『まことに、まことにあなたに告げます。人が水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません』」(ヨハネ 3:5)。「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はその大いなる憐れみによって、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことにより、私たちを新しく生まれさせ、生ける希望を与えてくださいました」(1ペテロ 1:3)。「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちることのない種からであり、生きていていつまでも残る神の言葉によるのです」(1ペテロ 1:23)。
これらの聖句が示しているように、生まれ変わるということは、水と御霊によるものを意味します。そして、それは神の憐れみと御言葉によって成し遂げられると記されています。もちろん、人間側では悔い改めと信仰が必要です。
・成就の力(マタイ 5:17-18)
「わたしが律法や預言者を廃止するために来たと思ってはなりません。廃止するためではなく、成就するために来たのです。まことに、あなたがたに言います。天地が滅び去るまでは、律法の一点一画も決してなくならず、すべてが成就されます」(マタイ 5:17-18)。
神の御言葉は必ず成就します。そのため、聖書に記された御言葉を信じ、疑わないなら、その通りになるのです。私たちは聖書の御言葉をたくさん読み、悟り、暗唱し、伝え、宣言すべきです。
神は常に預言され、それを歴史の中で成し遂げていかれます。神が預言された御言葉の成就を妨げる勢力――個人、国家、あるいはサタン――はすべて神によって取り除かれるのです(イザヤ 41:21-24)。
3. 御言葉の人格性 (ヘブル 4:13)
・生きていて力のある御言葉
生きている存在は力を持っています。植物には植物としての力があり、太陽や月、星々、溶岩、台風、津波といった動くものにはそれぞれの力があります。同じように、神の御言葉も生きているため、力が働きます。そして、その御言葉が動くとき、創造や製造、復活といった力が現れるのです。
・両刃の剣よりも鋭い御言葉
神の御言葉は、両刃の剣よりも鋭いです。そのため、魂と霊、関節と骨髄を刺し通し、心の思いや意図までをも見分けます。私たちの肉眼で見ることができる関節や骨髄を刺し通すだけでなく、肉眼では見えない神経部分や魂、霊までをも貫きます。
現代医学が発展し、人間の内部をほとんど見ることができる時代になりましたが、魂や霊を見ることはできません。たとえばMRI検査であっても、信仰の強さや良心の状態などは映し出せません。しかし、神の御言葉は魂や霊、どんな部分でも通過し、刺し通すことができるのです。
・御言葉の人格性
「創られたもので神の前に隠れているものは何一つなく、すべてのものが、私たちが申し開きをするその方の目の前に裸でさらけ出されています」(ヘブル 4:13)。
この箇所は、神の御言葉の人格性について述べています。御言葉に人格を与え、「その前に」と記していることは、すなわち「神の前に」という意味です。人格を持つ神の御言葉によって創造された万物は、神の御言葉、つまり神の前で裸でさらけ出されます。
最後の白い御座の審判が終わると、現在の天地とその中にあるすべての万物は消え去ります。そして、神の御言葉によって新しい天と新しい地が創造され、救われた聖徒たちはそこで永遠に神と共に住むことになるのです。
結論
今日は、神の御言葉の意味について考えました。また、神の御言葉の力についても説教しました。そして、神の御言葉の人格性についても述べました。
神の御言葉には力があります。しかし、その御言葉が自動的に働くわけではありません。その御言葉が宣言されるとき、力が現れるのです。
わかりやすく言えば、聖書を家に置いておくだけで奇跡が起こるわけではありません。しかし、その御言葉を読み、聞き、信じ、暗唱し、伝え、実践するとき、記された神の御言葉が宣言され、生きて働くようになります。そのとき、奇跡が起こるのです。