
2026年3月21日

報告
1.<四旬節>
2/18(水)~4/4(土)まで四旬節(レント)の期間です。
イエス・キリストの十字架の死の贖いを覚えて謹んで
祈りに専念しましょう。*復活祭:4/5(主日)
2.<責任役員委員会>
3/22(主日)3部礼拝後会議室で行われます。
責任役員の方は必ずご出席ください 。
3.<決算総会>
3/29日(主日)3部礼拝後会議室で行われます。
代議員の方は必ずご出席ください。
説教要約
2026.03.22. (主日)
平和の王国 (The Kingdom of Peace)
聖書箇所:イザヤ書 11章1-2節、6-10節
1 エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、2 その上に主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、謀略と能力の霊、知識と主を恐れる霊である。6 狼は小羊とともに宿り、豹は子山羊とともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、幼い子供に導かれる。7 牛と熊とは共に草を食い、その子らは共に伏し、獅子は牛のようにわらを食う。8 乳飲み子はコブラの穴の上で遊び、乳離れした子はまむしの巣に手を注ぎ入れる。9 わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、損なうこともない。水が海を覆っているように、主を知る知識が地に満ちているからである。10 その日、エッサイの根からひとつの旗が立てられ、諸国の民はこれに集い、そのとどまる所は栄光に輝く。
はじめに
世の人々は平和を望んでいますが、世界はますます戦争の噂が絶えず、戦争の準備に忙しく動いています。人類の歴史を、ある側面から見れば「戦争の歴史」であると捉える人々もいます。
聖書の歴史にも、戦争の記録が多く登場します。しかし、旧約聖書には「平和の王国が到来する」と記されています。本日の御言葉も、その平和の王国の到来に関するものです。
この御言葉は、平和の王であるキリストが来られ、福音を通して霊的な「新しい人」を造り、聖霊によって治められる新約時代(すなわち教会時代)について語っています。そして将来、イエス様が再臨されて建てられる「千年王国」についての預言でもあります。
1. ダビデの子孫、イエス・キリスト (11:1-2)
卑しいエッサイの家系
ダビデの祖父は、多文化家庭であったボアズとルツの間に生まれたオベデであり、その息子がエッサイです。ダビデの家はもともと卑しい家柄でしたが、神の選択によって強い王の家系となりました。しかし、メシアがダビデの子孫として来られる時は、非常に弱々しく、柔らかく、誰も見向きもしないような姿で来られました。
聖書は、メシアが「エッサイの茎(株)」と「根」から出ると言っています。これは、エッサイの家、すなわちダビデの王朝が崩壊し、切り株が地に埋もれ、寒い冬を迎えたかのように希望が消え去ろうとしている時に、メシアが来られることを意味しています。
ベツレヘムで誕生されたイエス
メシアはこのよう状況の中、最も小さな地であるベツレヘムに、エッサイの家系・ダビデの子孫としてこの世に来られました。貧しい環境で誕生され、生まれてすぐにエジプトへ避難しなければならず、ヘロデが死んだ後にイスラエルに戻っても、ナザレという「ろくでもない人々が住む町」と言われた場所で育たれました。
人類の希望
イエス様がエッサイの茎から「芽」として出られたことは、私たちに大きな希望を与えます。イスラエルの歴史の中で、ダビデの王統は途絶えてから400年以上が経過していました。イスラエルの人々の心の中で、「ダビデの子孫として来られる」と預言されたメシアへの希望がほとんど消えかけていた、その時に来られたのです。
ここには聖霊の7つの名前が出てきます。これはメシアが聖霊によって身ごもられることを示しています。あたかも幼い芽や茎、根をしっとりと濡らす「早い雨」のように、メシアは聖霊の恵みの雨を受けて宿り、成長されました。
イエス様が聖霊に満たされていたのは、地から得たものではなく、上から臨んだものでした。ゆえに、私たちが目を上げて神を見上げる時、そこに希望があります。上から能力として着せられる聖霊の力を受ける時、神の業が可能になります。地に希望がなく、すべてが断絶されたように思える時でも、神から聖霊が臨めば、イエス様がなされたような御業を成し遂げることができるのです。
2. 一致と調和の国 (6-8)
「6 狼は小羊とともに宿り、豹は子山羊とともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、幼い子供に導かれる。 7 牛と熊とは共に草を食い、その子らは共に伏し、獅子は牛のようにわらを食う。 8 乳飲み子はコブラの穴の上で遊び、乳離れした子はまむしの巣に手を注ぎ入れる。」
旧約と新約の調和と一致
旧約の律法時代は、罪人にとっては恐怖の時代でした。律法は神の言葉であるため、本来は良い法です。しかし、罪人が律法を守ることができないために問題が生じたのです。しかし、平和の王であるイエス様が来られ、旧約と新約の一致と調和を成し遂げられました。
旧約時代、ユダヤ人と異邦人は一つになれませんでした。しかしイエス様が来られ、ユダヤ人と異邦人の間の障壁を撤廃されました。誰でもキリストのうちにあるなら、新しい創造物となります。いかなる差別もない新約時代、恵みの時代、福音の時代、聖霊の時代が到来したのです。
千年王国の描写
ここには千年王国の様子が見事に描写されています。キリストの福音と恵みの効力によって、その性質が驚くほど変えられるのです。イエス様が再臨され、実際に千年王国が到来する時、イザヤが預言したこの御言葉が成就すると信じます。
平和と安全の国 (9)
「わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、損なうこともない。水が海を覆っているように、主を知る知識が地に満ちているからである。」平和の王キリストは、神の独り子として世に来られ、ご自身を贖いの供え物としてカルバリの丘の十字架の上で死なれ、私たちを神との平和へと導かれました。キリストは平和と安全のために「なだめの供え物」となられました。平和の王キリストは平和をもって治め、ご自身の民を安全に保護されます。
3. ダビデの子孫キリストが建てる国 (10)
「その日、エッサイの根からひとつの旗が立てられ、諸国の民はこれに集い、そのとどまる所は栄光に輝く。」
エッサイの根から出た一つの芽
「エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び」(イザヤ11:1)。この御言葉は、ダビデの父エッサイから始まっています。「一つの芽」はダビデの子孫として来られたキリストを指します。ダビデ王国は崩壊し、長い間再建されずにいました。「もはやダビデの王国は二度と立ち上がれない」と思われていた時、イエス・キリストがダビデの子孫としてこの世に誕生されました。
アブラハムとダビデの子孫、イエス・キリスト
新約聖書の始まりは、「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」という言葉で始まります。アブラハムとダビデは信仰の先祖でもあります。パウロがローマ人への手紙4章で信仰の本質を語る際、律法以前のアブラハムと律法以降のダビデが義とされ救われたのは、信仰によるものであると証ししています。
獅子であり小羊であるイエス・キリスト
さらにヨハネの黙示録では、封印を解くのにふさわしい方であるイエス・キリストを「ユダ族の獅子」「ダビデの根」であり、同時に「小羊」として表現しています(黙示録5章)。
これは、ダビデの子孫であるイエス様が「王の王、主の主」として来られ、建てられる王国であり、救われた者たちが入るべき王国を建てられるイエス・キリストについての描写です。この王国を私たちは「千年王国」と呼びます。
結論
ダビデの子孫が建てられた平和の王国は、成長する国です。平和の王国は、主と共に働く国です。平和の王国は、調和の国です。平和の王国は、平和と安全の国です。平和の王国は、平和の君(きみ)キリストが建てる国です。平和の王国は、平和の君キリストが治める国です。平和の王国は、獅子であり小羊であるイエス・キリストが建てられる王国です。
私たちは平和の王国の市民です。私たちは平和の王キリストを迎え入れ、地上では宣教と救済の祝福に預かり、神の永遠の国で永遠の福楽を享受して生きる人々です。