
TCC
2025年6月14日
6月15日 週報

お知らせ
「夏キャンプと希望フェスティバルのためのバザー」
6月から7月まで毎週主日、
コイノニアでバザーを行います。ぜひご参加ください。
メニュー:サニーレタスビビンバ&キャベツキムチ (¥500)
「早天礼拝」
1日を主と共に始める教会になりますようお祈りください。
月曜日〜金曜日 午前6時(会議室)
2025年6月15日(三位一体主日)
タイトル:涙の祈りの力
本文:イザヤ書 38:5-8
5「あなたは行ってヒゼキヤに言いなさい。あなたの父ダビデの神、主はこう言われる。『わたしはあなたの祈りを聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたの寿命に十五年を加える。
6わたしはあなたとこの町を、アッシリアの王の手から救い出し、わたしはこの町を守る。
7主が言われたことをあなたに行う証しとして、わたしはこのしるしをあなたに与える。
8見よ、アハズの日時計に進んだ日の影を、わたしは十度後退させる。』」すると日時計に進んだ日の影は十度後退した。
祈りの人ヒゼキヤは、アッシリアとの戦争において、神が送られた一人の天使を通して大勝利を収めました。国に太平の時代が訪れ、39歳になった王の地位はさらに強固になりました。その時、ヒゼキヤは油断したようです。彼は突然、死に至る病にかかり、床に伏しました。
イザヤ書38章3節の「ひどく泣き叫び」という言葉と、5節の「涙」という言葉は、激しく泣きながら祈ったことを意味します。ヒゼキヤは、あまりにも残念な気持ちで、神に号泣し、涙の祈りを捧げました。
神は彼の涙の祈りを聞き入れ、応えられました。死に至る病を癒し、命を15年も延長してくださいました。どれほど大きな恵みを受けたことでしょうか。
その後、彼は油断して傲慢になり、利己主義者となり、遅くにできた息子を誤って育て、国を滅亡させる原因を提供することになります。残念なこととしか言いようがありません。
私たちはここで、涙の祈りの力とともに、奇跡を体験した後に持つべき心構えと、聖書的な子育ての秘訣まで学ぶことができれば幸いです。
1. ヒゼキヤの死に至る病(イザヤ書 38:1)
「1そのころ、ヒゼキヤは病気にかかり、死に瀕していた。アモツの子預言者イザヤが彼のところに来て言った。「主はこう言われます。『あなたは家に遺言しなさい。あなたは死ぬ。生き延びることはできない。』」」
アッシリアとの戦争での大勝利後(イザヤ書 36-37章)
イザヤ書36章と37章には、アッシリアのユダ侵攻と、ユダとヒゼキヤの勝利が記されています。ヒゼキヤは戦争が起こると、神に祈りました。神は一人の天使を送り、一夜にしてアッシリア軍18万5千人を全滅させ、ヒゼキヤとユダを救われました。
死に至る病にかかったヒゼキヤ(イザヤ書 38:1)
戦争が終わり、国は太平の世を迎えました。しかし、その国の王が39歳という若さで死に至る病にかかりました。ヒゼキヤ自身だけでなく、国全体の心配事になったことでしょう。王と民と国は一体です。太平の世に国王が死に至る病にかかるというのは、まことに残念なことではありませんか?
身辺整理の時間(イザヤ書 38:1)
神はイザヤを通してヒゼキヤに、「あなたは家に遺言しなさい。あなたは死ぬ。生き延びることはできない」という御言葉を伝えられました。身辺整理の時間をくださったのです。すべてを整理し、遺言をし、すべての人が通る道を行くようにと言われたのです。神は私たちにも、このように身辺整理の時間と、旅立つべきしるしを様々な方法で語られます。人が愚かであるため、聞き分けられないだけなのです。
2. ヒゼキヤの涙の祈り(イザヤ書 38:2-3)
「2ヒゼキヤは顔を壁に向け、主に祈って、3言った。「ああ、主よ。どうか覚えていてください。わたしがあなたの御前で、真実と全き心をもって歩み、あなたの御心にかなうことを行ってきたことを。」そして彼はひどく泣き叫んだ。」
顔を壁に向けて
神の御言葉を受け取ったヒゼキヤは、顔を壁に向けました。死に至る病であれば、医者が何の役に立ち、薬が何の効き目があるでしょうか? ヒゼキヤは、世の中で頼れるものをすべて諦め、顔を壁に向けたのではないでしょうか?
私たちも時には、すべてを諦め、何の楽しみもなく、希望もない時、顔を壁に向けることがあります。そして、じっくりと考えます。なぜ最も良い時に世を去らなければならないのかと考える時、胸が張り裂けそうになります。ヒゼキヤは顔を壁に向けて祈りました。
真実と全き心をもって行った善行
「わたしがあなたの御前で、真実と全き心をもって歩み、あなたの御心にかなうことを行ってきたことを覚えていてください」と祈りました。去るにしても、神にこれまで生きてきて行った事柄を報告しました。
私たちの人生の旅路が、ヒゼキヤの告白のように、主の御前で真実と全き心をもって歩み、この世を去る人生であれば良いと思います。
激しい号泣の祈り
さて、死に至る病にかかり、死期が間近だと告げられたヒゼキヤは、悲しみ、残念に思い、心を痛め、最後に思いっきり泣きながら祈ったのではないでしょうか? ヒゼキヤは、これまで真実と全き心をもって行った事柄を覚えていてほしいと、激しく号泣しながら祈りました。神が彼の善行を覚えていてくださり、命を救ってくだされば幸いであり、たとえあの世に行くことになっても、自分を覚えていてほしいと、激しい号泣の祈りを捧げたことでしょう。
3. ヒゼキヤの愚かさ(イザヤ書 39:1-8)
「1そのころ、バビロンの王バラダンの子メロダク・バラダンは、ヒゼキヤが病気にかかって回復したと聞き、手紙と贈り物を送ってきた。2ヒゼキヤは使者たちを喜び迎え、彼らに自分の宝物庫にある銀、金、香料、貴重な油、武器庫にあるすべての物、そして宝物庫にあるすべての物を見せた。彼の宮殿にあるものも、彼の国内にあるものも、彼らに見せないものは何もなかった。」
癒やされたヒゼキヤ
ヒゼキヤの祈りを聞かれた神は、預言者イザヤが神の言葉を伝え終え、まだ町を出る前に、その御心を翻し、ヒゼキヤを癒やすと再び告げるように言われました。
ヒゼキヤは日時計が10度後退するという癒やしのしるしを求め、神はまさにその通りに、日時計を40分間後退させるという奇跡を行われました。そしてイザヤは一塊のいちじくをヒゼキヤのおできに貼ると、神はヒゼキヤを死に至る病から癒やされました。
バビロンの使者たち
「1そのころ、バビロンの王バラダンの子メロダク・バラダンは、ヒゼキヤが病気にかかって回復したと聞き、手紙と贈り物を送ってきた。」(イザヤ書 39:1)
バビロンから、ヒゼキヤが死に至る病から癒やされたという知らせを聞き、使節団を編成してユダに送りました。ヒゼキヤは15年の寿命を延長され、回復の祝宴に夢中になっていたことでしょう。おそらく祈ることすら忘れていたかもしれません。
ヒゼキヤの愚かな行為
「2ヒゼキヤは使者たちを喜び迎え、彼らに自分の宝物庫にある銀、金、香料、貴重な油、武器庫にあるすべての物、そして宝物庫にあるすべての物を見せた。彼の宮殿にあるものも、彼の国内にあるものも、彼らに見せないものは何もなかった。」
ヒゼキヤの心に傲慢が芽生え、バビロンの使者たちに国の重要な秘密情報をすべて見せてしまいました。彼は、彼らに見せたすべてのものが原因となり、後にバビロンの侵攻を受け、国が滅び、神殿が破壊され、神殿の器具とすべての宝物と人々がバビロンに連れて行かれるとは夢にも思わなかったことでしょう。
祈らない時、サタンが隙をついて傲慢にさせ、してはならない行動をさせ、破滅の種が蒔かれることになります。これはヒゼキヤの生涯において、まことに残念な出来事です。
結論
祈りの人ヒゼキヤは、アッシリアの侵攻時にも祈りで勝利しました。死に至る病にかかった時も祈りで勝利しました。しかし、病気が治った後の愚かで傲慢な行動と、遅くにできたマナセを産んで、どれほど喜びと楽しい生活を送ったでしょうか? ヒゼキヤが54歳で死ぬまで祈ったという聖書の記録はありません。
万王の王であり、万主の主であるキリストは、祈りの模範を示されました。働きを始められる時の祈り、働きの中での祈り、最後のゲツセマネの祈り、十字架上の祈りなどを見ます。私たちにとって王は、ヒゼキヤのような王ではなく、ただキリストのみであるべきです。
ヒゼキヤの晩年の失敗を通して、神は私たちに、祈りの人が祈りを休むとどのようなことが起こりうるかを教えているのではないでしょうか? 聖霊を受けた私たちは、祈りと賛美と伝道を休んではなりません。
三位一体主日を迎え、父なる神に、イエス・キリストのように、聖霊の導きを受けて祈る聖徒となることを願います。