
TCC
2025年3月15日
3月16日 週報

2025年3月16日(四旬節第2主日)
タイトル: 嘆願の祈りの力
本文: ヤコブの手紙 5:13-18
13あなたがたの中で苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。
14あなたがたの中で病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招きなさい。そして長老たちは、主の名によってオリーブ油を塗り、その人のために祈りなさい。
15信仰による祈りは、病人を救い、主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、赦されます。
16だから、互いに罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。そうすれば、いやされます。義人の祈りは、力強く、大きな働きをするからです。
17エリヤは私たちと同じ人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。
18再び祈ると、天は雨を降らせ、地は実りを生じさせました。
序論
本文は、唯一絶対の義人であるイエス・キリストの十字架の贖いの死についての言葉に続き、相対的な義人であるヨブの忍耐を教訓しています。そして、祈りについての教訓を与えています。
本文には、祈りについての言葉が様々に描写されています。病人のための癒しの祈りについての言葉が出てきます。信仰の祈りについての言葉が出てきます。悔い改めて祈らなければならない祈りについての言葉が出てきます。
また、相対的な義人エリヤの嘆願の例を挙げて、私たちがどのように祈るべきかについて教えています。
「13あなたがたの中で苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。」(5:13)。賛美は曲のある祈りと言われています。聖徒は絶えず祈らなければなりません。今日は、ヤコブが教えた祈りについて学びましょう。
1. 信仰の祈り (15)
癒しのための祈り (14)
「14あなたがたの中で病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招きなさい。そして長老たちは、主の名によってオリーブ油を塗り、その人のために祈りなさい。」
私たちが生きている間、私たちは霊的にも肉体的にも病気になることがあります。イエスが世に立てられた天国は目に見えませんが存在し、そこには目に見えませんが悪魔や悪霊も働いています。イエスが再臨して治められる千年王国には悪魔もおらず、すでに復活した聖徒たちには病気もないでしょう。
それまでは病人がいるため、教会の長老たち、すなわち指導者たちを招いて聖霊を象徴する油を塗り、祈るように命じています。したがって、教会で癒しの祈りはしなければならない祈りです。
信仰の祈り (15)
「15信仰による祈りは、病人を救い、主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、赦されます。」
イエスの名による祈りは、必ず病人を救ってくださるという信仰で祈らなければなりません。イエスは病を背負われました。イエスの働きの3分の2以上が癒しの働きでした。イエスが鞭で打たれたことにより、私たちは癒されました。このような信仰で祈ると、癒してくださり、彼を証の道具として用いる場合があります。祈る人も信仰で祈らなければならず、祈られる人も信仰で受けなければなりません。その時、主は答えてくださいます。
罪の赦し
「......もしその人が罪を犯していたなら、赦されます。」
病気の原因は様々です。多くの場合、罪が原因となることがあります。多くの場合、病気を引き起こす悪霊が原因となることがあります。時には、神の法を無視して無理をするときに病気になることがあります。流行病が原因となることがあります。もし病気の原因が罪のためなら、悔い改めて信仰で祈ると、赦してくださり、結果的に病から解放されることがあります。
2. 悔い改めの祈り (16)
告解
罪を告白するという言葉を誤解してはなりません。カトリック教会の告解は非聖書的です。カトリック教会では神父が告解を聞きます。神父が神の座に座って聞くことは恐ろしい罪に該当します。罪の告白は神にするものです。神だけが罪を赦すことができるからです。マリアに頼む祈りもまた非聖書的です。
罪の告白
「互いに罪を告白しなさい」という言葉があります。これは告解を意味するものではありません。互いに罪を神に告白し、祈りなさいという意味です。人間関係において、自分の過ちや罪、つまり誤り(faults)を互いに告白し、互いに赦し合い、罪(sins)を神に祈るとき、神は喜び、赦してくださいます(主の祈り参照:「我らに罪を犯す者を我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ」の罪は、原文では負債となっています(And forgive our debts, as we forgive our debtors)。
悔い改めは主に
罪を赦す権威はただイエス・キリストにあります。したがって、私たちはイエス・キリストの名によって悔い改めて祈らなければなりません。他の誰かに告白した罪も赦されることはありません。場合によっては、相談者に事細かにすべてを告白することがありますが、相談者は治療者ではありません。相談者の事情を聞いて道を示すだけです。罪の告白と悔い改めはただ主にしなければなりません。
3. 義人の嘆願 (16)
三大義人の嘆願
ノア、ダニエル、ヨブは三大義人として神から認められた人々です(エゼキエル14:14)。彼らが祈るとき、神は答えてくださいました。それにもかかわらず、自分の義で自分の命だけ救われるだろうと言われました。どんなに義人であっても他人の命を救うことはできないということです。
エリヤの嘆願
ヤコブの手紙5章17-18節に「17エリヤは私たちと同じ性質の人でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年六ヶ月の間、地に雨が降りませんでした。18再び祈ったところ、天は雨を降らせ、地は実を結びました」とあります。エリヤは義人として神に嘆願し、そのとおりに応答されました。
エリヤの嘆願の祈りは応えられました。アハブとイゼベルの偶像崇拝と悪政の中で国と民が塗炭の苦しみに陥っていた時、神の生ける存在を示し、エリヤは神の僕として認められるようになりました。
これは、終わりの時に3年6ヶ月間の極度の艱難の後に降る遅い雨と、聖徒の模型であるヨブに言及した後、エリヤのような預言者が起こって働く模型でもあります。
唯一の義人イエス
絶対的な義人はイエス・キリストただ一人です。ただ相対的に義人の称号を受ける者が時々います。聖書が言う義人はそのような義人ではありません。神に認められた義人を言います。
私たちも義人になって祈れば、エリヤの祈りと答えを受けることができます。問題は、義人はいない、一人もいないという事実です(ローマ3:10)。しかし、義人になる道が一つあります。それはイエス・キリストを信じる者、すなわちキリストの義を信じる者に与えられる義認、すなわち信仰によって義とされる道です。
私たちがイエス・キリストの中で義人になれば、義人の嘆願は力強く、大きな働きをするという言葉が適用されるのです。イエス・キリストの名によって何でも求めれば、イエスがなさると言われました(ヨハネ14:14)。私たち皆、義人として認められ、力強く働く嘆願の祈りを捧げましょう。
結論
今日は本文に出てくる信仰の祈りと悔い改めの祈りと嘆願の祈りについての言葉を伝えました。
堕落した人類の歴史が始まって以来、罪と死と病気のない歴史はありませんでした。これらすべての問題を解決するために、イエスが世に肉体を着て来られました。
罪の問題と病気の問題は背後で働くサタンと悪霊の働きと切り離せない関係でしょう。したがって、私たちは信仰で祈らなければなりません。悔い改めて祈らなければなりません。義人になって嘆願しなければなりません。
喜んでいる人は賛美しなさいと教えています。苦しんでいる人は祈りなさいと教訓しています。祈るとき歴史が起こります。特に嘆願(熱心に)祈るとき、力強く働く力が現れます。私たち皆、病人のために信仰で悔い改めて嘆願し、癒される奇跡を体験できたらと思います。