
TCC
2025年3月29日
3月30日 週報

2025年3月30日(四旬節第4主日)
タイトル:断食祈りの力
断食の祈りの力
True Power of Fasting Prayer
聖書箇所:イザヤ書58章6-9節上
6わたしの喜ぶ断食は、不正な束縛を解き放ち、くびきの綱を断ち切り、虐げられた者を自由にし、あらゆるくびきを打ち砕くことではないか。
7飢えた者にあなたのパンを分け与え、さすらう貧しい人々をあなたの家に迎え入れ、裸の人を見たら着せ、自分の肉親から身を隠さないことではないか。8そうすれば、あなたの光は朝日のように輝き、あなたの癒しは速やかに現れ、あなたの義はあなたの前を行き、主の栄光はあなたの後ろを守る。
9あなたが呼ぶとき、主は答え、「わたしはここにいる」と言われる。あなたが叫ぶときも同じである。
序論
神は最初の人間アダムに、エデンの園にあるすべての果物を食べる祝福を与えられました。そして、園の中央にある善悪を知る木の果実、いわゆる禁断の果実を食べないという断食を命じられました。
エバはサタン、すなわち悪霊が宿った蛇の誘惑に負け、禁断の果実を食べ、一緒にいたアダムにも与えて食べさせました。アダムとエバは断食の命令に背いたために堕落したと言えるでしょう。私たちの救いが完成すれば、再び断食はなくなり、命の木の実を食べて主と共に永遠の命を享受するでしょう。
第二のアダムであり、最後のアダムであるイエス・キリストは、宣教を開始する前に40日間の断食祈祷を行い、サタンの誘惑を退け、宣教を開始されました。
主が私たちに断食祈祷を命じられる時があります。また、国家的に、あるいは個人的に非常事態となり、全国民、全家族が断食せざるを得ない時もあります。私たちは、主が喜ばれる(選ばれた)真実で正しい断食祈祷を通して、応答を受けなければなりません。
間違った断食(主が喜ばれない断食)
不平を言いながらする断食
断食するときは、神に謙虚にひれ伏し、心を裂いて悔い改め、神の慈悲と憐れみを求めるべきです。しかし、断食祈祷を正しく行わず、「私たちは断食しているのに、なぜあなたは見てくださらないのですか。私たちは苦しんでいるのに、なぜあなたは気づいてくださらないのですか」(58:3)と不平を言いながら、ただ食事だけを断つ人がいます。
娯楽と圧制をしながらする断食
「…断食の日にも自分の楽しみを追い求め、すべて自分のために労役を課している」(58:3)。したいことをすべてして娯楽を追い求め、部下を圧制し、あらゆる仕事をさせながら、ただ食事だけをしないのは、正しい断食とは言えないでしょう。この説教を準備しながら、私も断食祈祷中に時々重要なニュースを見たり、ワールドカップに関連したサッカーの試合を観戦したことがあります。そのようなことを思い出し、悔い改めました。
争いながらする断食
「見よ、あなたがたは断食しながら争い、けんかし、悪意のある拳で打つ。あなたがたが今日断食するのは、あなたがたの声が天に届くようにするためではない。これがわたしの喜ぶ断食であろうか。人が自分の身を苦しめる日であろうか。頭を葦のように垂れ下げ、粗布と灰を敷くのを、断食と呼ぶのか。主が受け入れられる日と呼ぶのか」(58:4-5)
神は私たちの形式的な断食よりも、心からの断食祈祷を望んでおられます。争いながらする断食は断食ではありません。私たちが断食祈祷をするとき、必ずと言っていいほど争い事が起こったり、嫌なことが起こったりします。腹が立つことが起こります。急用が起こります。あるいは、おいしい食べ物が手に入ったり、素晴らしい食事の約束ができたりします。その時、惑わされないでください。エデンの園で断食を破るように誘惑したサタンが背後で働いていることを見抜けば、惑わされることはありません。
正しい断食(主が喜ばれる断食)
心を裂いて悔い改めながら
断食の形式を取るなという意味ではありません。まるでニネベの人々がヨナの宣告を聞いて、断食祈祷の形式も取り、真心と誠意をもって神に悔い改め、断食祈祷を捧げた結果、数百年間犯してきた罪が一度に赦されたように、断食祈祷すべきでしょう。衣を裂くのではなく、心を裂いて悔い改め、正しく断食することが、神が選ばれた断食です。
捕らわれた者を自由にし(58:6)
「わたしの喜ぶ断食は、不正な束縛を解き放ち、くびきの綱を断ち切り、虐げられた者を自由にし、あらゆるくびきを打ち砕くことではないか」
今日の聖句6節の御言葉は、神が選ばれた断食祈祷の方法であり、喜ばれる断食祈祷の方法です。ただ食事を断つだけでなく、私たちの生活の現場で起こる行動として示すべきことをしながら断食祈祷しなさいということです。不正な束縛を解き放ち、くびきの綱を断ち切り、虐げられた者を自由にし、あらゆるくびきを打ち砕くことが、主が喜ばれる断食です。
慈悲と憐れみをもって施しをし(58:7)
「飢えた者にあなたのパンを分け与え、さすらう貧しい人々をあなたの家に迎え入れ、裸の人を見たら着せ、自分の肉親から身を隠さないことではないか」
神の慈悲と憐れみを求める者は、同じ心で慈悲と憐れみを必要とする人々に施しをしながら断食し祈るとき、神が喜ばれる断食となるでしょう。良い断食祈祷の方法があります。それは、断食祈祷しながら節約した食費を貧しい人々のために献金したり、宣教献金として捧げたりすれば、神はどれほど喜ばれるでしょうか。
断食祈りの力(応答)(8-9節上)
朝日のように輝き(58:8)
「そうすれば、あなたの光は朝日のように輝き」
創造と製造の過程で、夕べがあり、朝がありました。苦痛の暗い夜が過ぎ去り、輝かしい朝日が力強く昇るとき、誰がそれを止めることができるでしょうか。光の速度は1秒間に地球を7.5周すると言われています。どれほど速い速度でしょうか。神が選ばれた方法で、神が喜ばれる方法で断食祈祷すれば、それほど速く神の業が起こるのです。
急速な癒し(58:8)
「…あなたの癒しは速やかに現れ」
断食祈祷院に行ってみると、病気で癒されることを祈る人々がたくさんいます。イエス・キリストは義の太陽です。その光(翼)には癒しの力があります。その光線を受けると癒しが起こります。12年間血の流出に苦しんでいた女性が、イエス様の衣の裾(翼、光線という意味)に触れたとたんに癒されたではありませんか。正しく断食祈祷するとき、癒しが急速に起こる場合がたくさんあります。
神の臨在
「…あなたの義はあなたの前を行き、主の栄光はあなたの後ろを守る。9あなたが呼ぶとき、主は答え、「わたしはここにいる」と言われる。あなたが叫ぶときも同じである」
神が認められた義が先立ち、主の栄光が後ろを守ってくださるなら、一体何の心配や悩みがあるでしょうか。万事順調ではありませんか。神が喜ばれる断食をするとき、9節で「あなたが呼ぶとき、主は答え、「わたしはここにいる」と言われる」と言われたのです。私たちのそばでいつも祈りを聞き、答えてくださる、本当に良い主なる神、父を持つ神の子たちは、この上なく幸せな者たちです。
結論
本文の御言葉を、神は断食祈祷を喜ばれると誤って解釈して説教する人々がいます。本文の御言葉はそのような意味ではありません。
神が喜ばれる断食(選ばれた)とはどのようなものでしょうか。まず、神が喜ばれない断食があるという御言葉がありました(58:3-5)。続いて、神が喜ばれる断食はこのようにすることだと教えられたのです(58:6-8)。そして、断食祈祷の応答についての御言葉がありました(58:9)。続いて、個人と国と民族の将来に受ける祝福についての約束の御言葉が語られました(58:9-12)。
ユダのヨシャファト王の時代に、モアブ、アンモン、およびメオン連合軍の侵攻を受けたとき、全国民が断食祈祷し、勝利しました。エステルの時代には、断食祈祷を通してユダヤ人の全滅の危機から脱出し、敵は滅亡しました。
今日も、国と民族と個人に危機が迫るとき、断食して祈れば、愛の神は、私たちがその子供であるゆえに、そのゆえに応答してくださるでしょう。