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[日本語] 12月21日週報とお知らせ

2025年12月20日

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報告


1.<待降節>(アドベント)

 11/30(主日)から12/24(水)までは待降節です。

 主イエス・キリストのご聖誕を心からお待ちしましょう。


2.<クリスマス行事>

 ◎クリスマス礼拝:12/21(主日)2部、3部 (通常通り)

 ◎東京希望宣教教会 クリスマス礼拝:12/21(主日) 午前10:00

 ◎NEXT次世代クリスマス礼拝:12/21(主日)午後4:00(地下聖殿)

 

3. <予算総会>

 12/28(主日)3部礼拝後に会議室にお集まり下さい。

  代議員は必ず参加してください。

 

4. <年末年始礼拝案内>

 送年礼拝: 12/31(水)午後8:00

 新年礼拝: 1/1(木)正午12:00


講壇生花献金

宋ウンイ(感謝)、裴仁子(感謝)



説教要約


2025.12.21.(待降節第4主日、クリスマス)

題名:人の子が地に来るとき

本文:ルカによる福音書 18:1-8

1 イエスは、いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。

2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。

3 その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『裁判をして、わたしの相手から守ってください』と言い続けていた。

4 裁判官はしばらくの間、聞き入れようとしなかった。しかし、後になって心の中で考えた。『わたしは神を恐れず、人を人とも思わないが、

5 このやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、絶えずやって来て、わたしを疲れ果てさせるだろう。』」

6 主は言われた。「この不義な裁判官の言っていることを聞きなさい。

7 まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために、裁判をせずに放置されるようなことがあるだろうか。その人たちをいつまでも待たせておかれるだろうか。

8 言っておくが、神は速やかに裁判をしてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」


序論

今日の御言葉は、しつこく祈ることで応答を勝ち取る比ゆとしてよく知られています。もちろん、そのような内容も含まれているでしょう。

しかし、本分の1節と8節を見ると、イエス様が再臨される時の現象と密接に関係していることがわかります。祈りについての教えや信仰についての言葉も出てきますが、最も重要な内容は「イエス・キリストの再臨」に関わることでしょう。

これからその理由を探りながら、本分の真意を理解していきたいと思います。


1. 常に祈り、落胆してはならない (18:1)
「イエスは、いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。」
  • 「ところで(しかし)」で始まった理由

    17章37節と18章は繋がっています。原文(ギリシャ語)では18章1節は「ところで(しかし)」という言葉で始まっており、この御言葉が「末世(終わりの時)」と直結していることを示しています。

    韓国語聖書(および日本語の多くの翻訳)の17章の最後は、「主は言われた。『死体のある所には、はげたかも集まるものだ』」という言葉で終わっています。これはイエス様が再臨される場所についての御言葉です。大きな鷲(はげたか)であるイエス様が再臨される場所に、小さな鷲である聖徒たちが一箇所に集まることを指しています。つまり、本分は末世を生きる聖徒が持つべき信仰生活の態度を教えるための比ゆなのです。

  • 常に祈りなさい

    祈りは常に捧げるべきものです。絶えず祈らなければなりません。私たちが眠っている間も休みなく動く呼吸や心臓のように、絶えず祈るべきです。聖書は「霊によって、いつも祈りなさい」と教えています。いつまで祈るべきでしょうか。祈りが応えられるまでです。私たちはイエス様の再臨の時まで、常に祈り続けなければなりません。

  • 落胆してはならない

    私たちはいつ落胆するでしょうか。期待したことが成就せず、環境は厳しく、体は病み、行く手が阻まれるときです。パウロが告白したように、患難、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険、剣が襲いかかるとき、私たちは落胆しやすくなります。

    さらに、再び来ると約束されたイエス様の再臨が、私たちの考えよりも遅れるとき、人は落胆しやすいため「祈りなさい」と言われたのです。私たちが信仰をもって祈るとき、環境に関わらず落胆せず、希望の中で忍耐し、喜ぶことができます。イエス様は私たちの主観的な時ではなく、神様が定められた時に必ず再び来られます。


2. 敵とやもめと不義な裁判官 (18:2-5)
「2 ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。3 その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『裁判をして、わたしの相手から守ってください』と言い続けていた。4 裁判官はしばらくの間、聞き入れようとしなかった。しかし、後になって心の中で考えた。『わたしは神を恐れず、人を人とも思わないが、5 このやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、絶えずやって来て、わたしを疲れ果てさせるだろう。』」
  • 不義な裁判官

    世の裁判官の中には、相対的に正しい人もいれば不義な人もいます。この比ゆは、不義な世には不義な裁判をする裁判官がいるという現実を描いています。神様の前で、誰が真に正しい裁判官と言えるでしょうか。

    ただ「人の子」であるイエス・キリストだけが正しい裁判官です。不義な裁判官であっても、強請するやもめの願いを聞き入れたのであれば、まして正しい審判者が再臨されるとき、正しい裁きをしてくださらないはずがないという逆説的な強調です。

  • 敵(悪魔)

    ここに出てくる「相手(敵)」は悪魔を象徴しています。悪魔は、新郎であるイエス・キリストと私たちの関係を引き裂こうと絶えず画策します。やもめは敵である悪魔のせいで不公正な扱いを受け、不利益を被っています。敵である悪魔は、盗み、殺し、滅ぼす働きをします。聖徒たちはこの敵のせいで、世でどれほどの患難を経験しているでしょうか。悪魔は、イエス様が再臨して底なしの淵に千年の間閉じ込められるまで、できることなら選ばれた者たちをも惑わして倒そうとします。

  • やもめ(聖徒)

    聖書において、やもめや乙女は法的に結婚できる立場にあります。ここでのやもめは、結婚(再会)を必要とする聖徒を象徴しています。聖徒はキリストと婚約した乙女のようであり、また(主を待つ)やもめのようでもあります。

    終わりの時の堕落した「淫婦の教会」は、自分はやもめではないから新郎は必要ないと言います(黙示録 18:7)。しかし、真の聖徒は新郎なるキリストとの婚礼を待ち望んで生きています。イエス・キリストは、新郎として待ちわびる花嫁を迎えに、再び来られるのです。


3. 人の子が来るとき、信仰を見いだすだろうか (18:7-8)
「7 まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために、裁判をせずに放置されるようなことがあるだろうか。その人たちをいつまでも待たせておかれるだろうか。8 言っておくが、神は速やかに裁判をしてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」
  • 人の子

    「人の子」とは、神の御子が人の子として来られたことを意味します。イエス様が人の子であられるがゆえに、父なる神はすべての裁きを人の子に委ねられました。「また、裁きを行う権限を御子に与えられた。御子は人の子だからである」(ヨハネ 5:27)。聖書を読む際、「人の子」という言葉が出てきたら、それを「裁き(審判)」と結びつけて理解するとよいでしょう。

  • 再臨の時

    「人の子が来るとき」とは、イエス様が再び来られる時を意味します。初臨の際、イエス様は独り子として贖いのために来られました。しかし、再臨の際には長子として、そして審判者として来られます。それはキリストの裁きの座において、真の花嫁を選び出すための裁きです。

    「神は選ばれた人たちの怨みを晴らしてくださる」という約束が、その時に成就するのです。

  • 地で信仰を見いだすだろうか

    8節後半の「しかし、人の子が来るとき、果たして地上(世)に信仰を見いだすだろうか」という御言葉は、解釈が必要です。ここで「世(地上)」とは、地球という場所だけでなく、聖書ではしばしば「教会」を指して地と表現することがあります(マタイ 5:5参照)。

    「また、忠実な証人、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから…」(黙示録 1:5)。イエス様は復活され、教会の頭となられました。

    そうであれば、これは単なる不信者の話ではなく、教会に属する信者たちの中に、果たして本当の信仰があるだろうか、と問うておられるのではないでしょうか。その信仰とは、「キリストの再臨」と「キリストと教会の婚礼」に対する切実な信仰のことです。


結論

本分の御言葉には、粘り強く祈って応答を受けなさいという教訓が含まれています。しかし、イエス様がこの比ゆを話された場所と時の背景を考慮すると、もう一つの深い解釈が見えてきます。

末世を生きる聖徒は、常に祈り、落胆してはなりません。

聖徒はこの世にある間、敵である悪魔から苦しみを受けます。比ゆのやもめが裁判官を訪ねて訴えたように、正しい審判者であり人の子であるイエス・キリストが再臨されるまで、忍耐して祈らなければなりません。

地(教会)の頭であり、新郎であるイエス様が再臨されるとき、聖徒の無念を必ず晴らしてくださいます。

末世において、このような信仰を見いだすことが難しい時代だからこそ、私たちは婚礼の日を控えて新郎を待つ花嫁の心、そしてやもめの切実な心で準備して生きましょう。イエス様の再臨と婚礼を待ち望み、落胆せずに祈り忍耐する聖徒は、イエス様が備えてくださる祝宴に預かることになるでしょう。

この信仰こそが、本分で語られている真の「信仰」です。この信仰がなければ、すべての信仰生活は虚しいものとなります。この信仰によって神様を喜ばせ、報い(マカリオス:祝福)を受ける聖徒となることを切に願います。

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