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6月28日(主日)説教要約

夜回りの使命

6月28日(主日)説教要約

**2026年6月28日(主日)**

**題目:見張り人の使命**
**本文:イザヤ書 21章11節~12節**

11 ドゥマについての託宣。セイルから私を呼ぶ声がある。「番人よ、夜はどれだけ過ぎたのか。番人よ、夜はどれだけ過ぎたのか。」
12 番人は言う。「朝が来る。しかし、夜もまた来る。もし尋ねたいのなら、尋ねよ。戻って来て、また尋ねよ。」

### 序論

イザヤ書21章には、三つの国に対する警告の御言葉が記されています。それはバビロンに対する警告、ドゥマすなわちエドムに対する警告、そしてアラビアに対する警告の御言葉です。
これらの国々はイスラエルと密接な関係がありました。したがって、イスラエルの預言者たちには、国内問題だけでなく、国外問題も取り扱う使命がありました。神の預言者は、世界歴史を主管される神の御心を、写真を現像するようにありのままに映し出し、その御心を明らかにする役割を担う者です。それゆえ、イスラエルの周辺諸国に向けた預言の御言葉も受け取り、伝えたのです。
見張り人は、時代的な使命と歴史的な使命、そして国や民族的な使命と共に、霊的な使命を全うしなければなりません。
本日は、ドゥマ(エドム)に対する警告の御言葉を考察しながら、見張り人の使命について説教しようと思います。

### 1. 見張り人の使命

**イザヤ**
イザヤは時代的、霊的な見張り人でした。彼は当時、イスラエルとユダ、そして周辺国家と全世界、さらには千年王国まで預言した大預言者でした。おそらくイザヤのように、人類の罪の問題から始まり、イエス・キリストの代贖と再臨、そして千年王国に至るまであまねく預言した預言者は他にはいないでしょう。

**エゼキエル**
エゼキエル預言者を召された神は、次のような警告の御言葉を与えられました。
「人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人として立てた。あなたはわたしの口から出る言葉を聞き、わたしに代わって彼らを戒めよ。わたしが、『悪人に、あなたは必ず死ぬ』と言うとき、あなたがそれを戒めず、また悪人に語って、その悪しき道から離れさせ、命を救わせようとしないなら、その悪人は自分の罪のゆえに死ぬ。しかし、わたしは、その血の責任をあなたの手に問う。」(エゼキエル書3:17-18)
「しかし、見張り人が剣の来るのを見て、角笛を吹かず、民に警告を与えないために、彼らの中から一人がやって来た剣のために命を落とせば、その人は自分の罪のために死ぬが、わたしはその血の責任を見張り人の手に問う。」(エゼキエル書33:6)
見張り人の使命は、多くの人々の命と繋がっています。見張り人の使命を全うできなければ、自分が代わりに死を迎えることになるからです。使命は命そのものであり、命よりも尊いものです。

**パウロ**
「しかし、自分の走るべき行程を走り終え、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする務めを全うするためには、私は自分の命を少しも惜しいとは思わない。」(使徒言行録20:24)
パウロもまた、見張り人の使命を負った使徒でした。見張り人は命をかけて目覚めており、神の御言葉を伝えなければなりません。

### 2. エドムに対する警告(21:11)

**エドム(ドゥマ)**
ヤコブとエサウは双子の兄弟として生まれました。ヤコブは信仰によってアブラハムとイサクの継承者となりました。しかし、エサウは信仰を捨て、世俗的な人となりました。
エサウ、エドム、セイル山の居住者、ドゥマなどは同じ意味で用いられています。

**エドムの子孫たち**
エドムの子孫たちは、兄弟であるヤコブを助けるどころか、苦しめ、追い詰めました。エドムの子孫の中のアマレク人は、出エジプトしたイスラエルと最初に戦った民族です。エホバ神が代々アマレクと戦うと宣言されたのですから、これより厳しい宣告はないでしょう。
アマレクの子孫たちは、代々イスラエルの敵となりました。ユダヤ人を抹殺しようとしたハマンや、イエス様が誕生された時に幼児たちを虐殺したヘロデも、彼らの子孫でした。
エサウが肉の人となり、霊の人であるヤコブを苦しめたように、私たちの内側にも霊と肉の戦いがあります。

**エドムの残り者**
見捨てられたエドム人の中にも、神が残しておられた人々がいます。本文を見ると、一人のエドム人、すなわちドゥマ人が見張り人に質問しました。エドムの将来と歴史の将来がどうなるのかを尋ねたのです。まるでマケドニア人がパウロに「渡って来て、私たちを助けてください」と要請した姿のようです(使徒言行録16:9)。

### 3. 見張り人の答え(21:12)

**イエス・キリストは太陽**
詩編の記者はキリストを太陽として描写しました。
「……神は太陽のために天に幕を張られた。太陽は、その奥から出てくる花婿のように、意気揚々と走る勇士のように、その道に躍り出る。天の端から出て、天の端まで巡る。その熱から隠れるものはない。」(詩編19:5-7)
マラキ預言者は、イエス・キリストを「義の太陽」と記しました。
「しかし、わたしの名を畏れ敬うあなたたちには、義の太陽が昇り、その翼には癒やしがある。あなたたちは外に出て、牛舎の子牛のように躍り出る。」(マラキ書3:20 [日本語訳では3:20、4:2])

**教会(花嫁)は月**
「神は二つの大きな光るものを作られた。大きいほうの光るもので昼を治めさせ、小さいほうの光るもので夜を治めさせた。また、星も作られた。」(創世記1:16)
「朝焼けのように現れ、月のように美しく、太陽のように輝き、旗を掲げた軍勢のように恐ろしいこの女は誰か。」(雅歌6:10)
上記の御言葉は、教会時代を夜と表現し、夜の月として表現しました。教会時代は花婿であるキリストが第三の天におられるため、まだ夜のような時代です。夜が過ぎ去り朝が近づくように、キリストは世に再び来られるでしょう。

**キリストの再臨**
夜は朝が来る前に訪れます。ペトロは二つ目の手紙に次のように記しました。
「私たちが、私たちの主イエス・キリストの力と来臨をあなたがたに知らせたのは、巧妙に作られた作り話に従ったのではありません。私たちは、彼の威厳をその目で見たのです。……この声は、聖なる山で彼と一緒にいたとき、天から出てくるのを私たちが聞いたものです。また、私たちには、さらに確かな預言の言葉があります。暗い所を照らすともし火として、夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るまで、それに注意を払っているのがよい。」(ペトロの手紙二 1:16-19)
見張り人は目覚めていなければなりません。見張り人は誰かが尋ねれば答えてあげなければなりません。見張り人は夜も目覚めていなければなりません。見張り人は目覚めて時をよくわきまえ、時間をよく読み、答えてあげる義務があります。
夜がどうなったのかと尋ねる者たちに、見張り人は「朝が来る。しかし、夜もまた来る」と答えました。イエスが弟子たちに夜の第4見張りに現れたのは偶然ではありません。その時間は見張り人が交代する時間でした。
夜が過ぎ去り、明るい朝が来ます。教会時代が過ぎ去り、キリストが輝く明けの明星のように、朝を携えて栄光の中にこられるでしょう。イエスが復活の朝を創られたように、再臨される時、聖徒の携挙と復活と変化が起こるでしょう。そして教会は永遠に主と共にいることになります。

### 結論

見張り人に対する質問は、エドム人の質問でした。この質問は全人類の質問です。また、私たち一人一人の質問でもあります。
見張り人は大胆に答えました。「朝が来る。しかし、夜もまた来る」と答えたのです。夜が過ぎ去らなければ朝は来ません。教会時代が過ぎ去らなければ、キリストの再臨はありません。
今、全世界が暗闇に覆われています。キリスト教の霊界が混濁し、夜を迎えています。バビロンの思想に染まり、淫婦の教会、バビロン教会となっています。しかし、夜が来なければ朝は来ません。
すべての聖徒は、見張り人の使命を持っています。聖徒は花婿であるキリスト、私たちの主人が戻って来られるまで目覚めていなければなりません。私たち皆が見張り人となり、夜をしっかりと耐え抜き、朝を教えてあげる目覚めた聖徒になりましょう。
花婿である主が来られた時、しもべたちがそのようにしている姿を見れば、喜ばれ、報いを与えてくださるでしょう。

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