6月21日(主日)説教要約
裸の預言者
# 2026年6月21日(日)
## 題名:裸の預言者
### The Prophet Naked and Barefoot
**本文:イザヤ書20:1-6**
> 1 アッシリアの王サルゴンが総司令官をアシュドドに遣わし、彼が来てアシュドドを攻め取った年、
> 2 その時、主はアモツの子イザヤに告げて言われた。「行って、あなたの腰の荒布を解き、足の履き物を脱げ。」そこで彼はそのとおりにし、裸で、また裸足で歩いた。
> 3 主は言われた。「わたしのしもべイザヤが、三年間、裸で、また裸足で歩き、エジプトとクシュについてのしるしと前兆となったように、
> 4 アッシリアの王は、エジプトの捕虜とクシュの捕らわれ人を、若い者も老いた者も、裸で、裸足で、尻をあらわにして連れ去り、エジプトの恥をさらす。
> 5 彼らは、自分たちが頼みとしていたクシュ、自慢としていたエジプトのゆえに恐れおののき、恥じる。
> 6 その日、この海辺の住民は言う。『見よ、われわれが頼みとし、アッシリアの王から救われようとして助けを求めて走った国がこの有様だ。われわれはどうして逃れることができようか。』」
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# 序論
「裸の王様」という昔話があります。
ある国の王様が非常にぜいたくで欲深く、次から次へと立派な服を求め続けた結果、最後には裸のままで人々の前に立つことになったという話です。
しかし、ここにその正反対の人物がいます。
聖書の預言者イザヤは、神様の命令によって「裸で、裸足で」三年間も預言活動を行いました。
それはなぜでしょうか。
神様は当時の強大国であったエジプトとクシュが、アッシリアによって敗北し、その民が裸で裸足のまま捕虜として連れ去られることを預言されました。
神様は、この裸のイザヤによる預言を通して、選民イスラエルが目を覚まし、罪を悔い改め、神様に立ち返ることを願われたのです。
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# 1. 裸の預言者(20:1-2)
## ● 空手来空手去の人生
人生とは、何も持たずに来て、何も持たずに去るものだと言われます。
これを漢字で表すと「空手来空手去(くうしゅらいくうしゅきょ)」です。
人は例外なく、何も持たずに生まれ、何も持たずに死んでいきます。
東西古今、男女老若、貧富貴賤を問わず、一人として例外はありません。
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## ● 聖書の教え
神様がアダムを造られた時、彼は裸でした。
衣服は人間が堕落した後に作られました。
ヨブも大きな苦難の中で、
「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。」
(ヨブ1:21)
と告白しました。
伝道者の書にも同じ教えがあります(伝道者5:15)。
さらにパウロもテモテに、
「私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。」
(Ⅰテモテ6:7)
と教えました。
「赤裸々」という言葉があります。
罪を犯した人間は、神様の前に裸のままでは恥ずかしくて立つことができません。
しかし、イエス・キリストの血によって罪赦され、義とされ、白い亜麻布を着せられ、キリストの花嫁として神の御前に立つ道が開かれたのです。
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## ● 預言者イザヤ
イザヤは最初、荒布を身に着けるよう命じられました。
荒布は悲しみ、嘆き、恥を表す服です。
彼はその荒布と帯を身に着けて預言していました。
ところが神様は、それらをすべて脱ぎ捨て、裸足で三年間歩きながら預言せよと命じられたのです。
これほど恥ずかしく、奇妙な姿が他にあるでしょうか。
しかし彼は神様のしるしと前兆として用いられるため、黙々と従いました。
神様はそのイザヤを「わたしのしもべ」と呼ばれました。
これは神様が彼を信頼し、喜んでおられたことを示す表現です。
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## ● イエス・キリストのひな型
裸の預言者イザヤの姿は、イエス・キリストを指し示すひな型でもあります。
主イエスは十字架にかけられた時、衣をはぎ取られ、裸にされました。
そして私たちの罪をすべて負い、十字架の恥と辱めを耐え忍ばれたのです。
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# 2. エジプトとクシュへの適用(3-5節)
## ● エジプトとクシュに敗北を与えたアッシリア
当時アッシリアは大帝国を築き上げていました。
アラム、ペリシテ、イスラエルを滅ぼし、中東地域の覇権を握っていました。
まさに中東世界を支配する覇者だったのです。
一方、エジプトはさらに長い歴史を持つ大国でした。
クシュ(現在のエチオピア地域を中心とする国)もアフリカの強国でした。
エジプトはたびたびイスラエルを侵略しました。
(レハブアム王の時代:歴代誌第二12章)
またクシュの王ゼラもエルサレムを攻めて来ました。
(アサ王の時代:歴代誌第二14:9-15)
しかし、そのような強大国を次々と打ち倒したのがアッシリア帝国でした。
聖書にはアッシリアの王たちの名前が数多く登場します。
ティグラテ・ピレセル、シャルマネセル、サルゴン、セナケリブ、エサル・ハドン、アシュルバニパルなど、私たちにもよく知られた名前が並んでいます。
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## ● 捕虜として連れ去られるエジプトとクシュ
エジプトとクシュはアッシリアとの戦いに敗北しました。
中東と北アフリカを支配していた二大強国が、アッシリアによって打ち倒されたのです。
戦争に敗れれば、人々は殺されるか、捕虜として連れ去られ、奴隷になります。
そのように強大だった国々も滅び、多くの民が捕虜として連れ去られました。
そしてその中でイスラエルも例外ではありませんでした。
神様はイスラエルを懲らしめるために、彼らが頼っていた国々をまず打たれたのかもしれません。
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## ● エジプトとクシュの恥
もしエジプトやクシュが小国であったなら、敗北してもそれほど大きな衝撃ではなかったでしょう。
しかし彼らは長い歴史を持つ強大国でした。
その国々が敗北し、民が虐殺され、多くの人々が捕虜として連れ去られたのです。
これは死よりも大きな恥でした。
彼らは連れ去られる時、衣服をはぎ取られ、履き物も奪われ、裸にされました。
どれほどの屈辱だったでしょうか。
イザヤが裸で歩きながら預言したように、エジプトとクシュもまた裸にされるのです。
神様はイザヤを実物教材として用いられました。
そしてその預言はそのまま成就しました。
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# 3. 人を頼ってはならない(20:6)
## ● イスラエルが頼っていた国々の滅亡
イスラエルが頼っていた国々は、一つずつ倒れていきました。
イスラエルはエジプトを頼りにしていました。
両国は国境を接する隣国でした。
さらにイスラエルは430年間エジプトで生活し、その後カナンの地に定住しました。
彼らは困難に遭うたびにエジプトへ助けを求めました。
クシュもまた強大国でした。
ソロモン王の時代からシバの女王との関係があり、イスラエルはクシュにも期待を寄せていました。
伝承によれば、彼らはイスラエルと親族関係にある国と考えられていました。
そのような頼みとしていた国々が、アッシリアによって滅ぼされたのです。
神様はイスラエルが神以外のものを頼りにしないように、その拠り所を取り除かれたのです。
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## ● 人を頼ってはならない
人の力は鼻の息にあります。
息が止まれば、どんな英雄豪傑もその場で死んでしまいます。
だから神様は、
「鼻に息のある人間に頼るな。」
(イザヤ2:22)
と警告されました。
人を頼る者は、その人が滅びる時、自分の希望も共に滅びます。
それにもかかわらず、人は権力や富や名誉を持つ人々の前にひざまずき、頼ろうとします。
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## ● 創造主なる神を頼れ
神様は、ご自分が選ばれた民が、人や大国ではなく神だけを頼るよう導かれます。
そのために、彼らが頼っていたものを取り除かれることがあります。
そして最終的に、神だけを頼らざるを得ない状況へ導かれるのです。
アッシリアも決して頼るべき存在ではありませんでした。
エジプトとクシュが滅ぼされるのを見て、今度はアッシリアに頼ろうとする人々がいました。
しかしアッシリアの王、とりわけセナケリブは反キリストのひな型です。
そのような者を頼る人々は、その国が滅びる時に共に滅びます。
ヒゼキヤ王の時代、セナケリブはユダを攻撃しました。
しかし一夜のうちに主の御使いによって十八万五千人の兵士が滅ぼされました。
セナケリブ自身は逃げ帰りましたが、自分の神殿で礼拝していた時に二人の息子によって殺されてしまいました。
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# 結論
イザヤ書20章は、裸の預言者イザヤを通して与えられた教訓です。
イザヤは三年間、裸で預言しました。
それはイスラエルが頼りにしていた強大国エジプトとクシュが滅びることを示す預言でした。
エジプトとクシュは良い時にはイスラエルの友でした。
しかし関係が悪化すると、容赦なくイスラエルを攻撃しました。
そのような強国がアッシリアによって滅ぼされることが預言されたのです。
アッシリアは、エジプトやクシュを頼りにしていたイスラエルをも見逃しませんでした。
彼らを滅ぼしたように、イスラエルにも裁きをもたらしました。
バビロンはペルシャに滅ぼされ、
ペルシャはギリシャに滅ぼされ、
ギリシャはローマに滅ぼされ、
ローマはオスマン帝国によって滅ぼされました。
終わりの時には、古代ローマの流れを受け継ぐ世界秩序が再び現れるでしょう。
そして反キリストが世界を支配する時代が来ます。
しかし、その反キリストとその国も、主イエス・キリストによって滅ぼされます。
ですから私たちは、人間でもなく、強大な国家でもなく、
父なる神、子なる神、聖霊なる神、
創造主なる唯一の神を信頼する者となりましょう。
アーメン。