3月8日(主日)説教要約
メシヤの到来
2026年3月8日(日)
## メシヤの到来(メシアの到来)
**イザヤ書 9:1-7**
1. しかし、苦しみのあった所に、闇がなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海に近い道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。
2. 闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者の上に、光が照った。
3. あなたはこの国民を大きくし、その喜びを増し加えられた。彼らは刈り入れの時に喜ぶように、獲物を分かち合う時に楽しむように、あなたの前で喜んだ。
4. それは、彼らが負っていた重荷のくびきと、その肩のつえ、彼をしいたげる者のむちを、ミデアンの日のように、あなたが打ち砕かれたからである。
5. 戦場でとどろく兵士の靴、血にまみれた衣は、ことごとく火の燃えくずとなる。
6. ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
7. その主権と平和の増し加わることは限りなく、ダビデの王座に座して、その国を治め、今より後、とこしえまでも、公平と正義をもってこれを堅く立て、これをささえる。万軍の主の熱心が、これを成し遂げられる。
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### はじめに
イエス・キリストは、旧約聖書に456回も預言された通りに降臨されました。また、イエス・キリストの再臨に関する預言の御言葉は1,518回にものぼると言われています。神の預言の御言葉はそのまま成就し、これから起こる残された御言葉も必ず成就します。
本日の御言葉は、旧約聖書の多くの約束の中でも、イエス・キリストの降臨に関するものです。イエス・キリストがどのように来られ、どのような働きをされるかについて預言されています。
イエス・キリストは「大きな光」として降臨されることが預言されています。キリストが来られれば、人々に大きな喜びと自由を与えてくださると預言されています。そして、メシアの統治と主権についての御言葉が記されています。共に聖書の御言葉を確認しながら、神の恵みを受けたいと願います。
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### 1. 大きな光として来られるメシア (1-2節)
> 「1しかし、苦しみのあった所に、闇がなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海に近い道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。2闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者の上に、光が照った。」
* **闇を追い出す光**
1節では、闇を追い出す光について「苦しみのあった所に、闇がなくなる」と宣言されています。死と闇は悪魔から来ます。罪、呪い、疾病、悪魔、死は一つに繋がっています。これら暗闇の勢力を追い出せる人間はいません。しかし、イエス・キリストは大きな光として来られ、すべての暗闇の勢力を吹き飛ばしてくださいます。
* **ゼブルン、ナフタリ、ガリラヤ**
1節には、かつてゼブルンとナフタリの地が辱められたが、後にガリラヤが栄光を受けるとあります。イエス様はベツレヘムで誕生されましたが、ヘロデの迫害を避けてエジプトへ避難されました。ヘロデの死後、エジプトから戻られた際、ガリラヤのナザレで成長されました。そして30歳頃に公生涯を始められましたが、その拠点がガリラヤになることが預言されており、その通りに成就しました。イエス・キリストを通じて、異邦の地ガリラヤが栄光に輝いたのです。
* **大きな光、栄光の光**
2節では、闇の中にいた民が「大きな光」を見たとあります。イエス・キリストは闇を追い出すだけでなく、死の陰の地に住む者に光を照らされました。罪によって遮られていた神の栄光を、イエス様が闇を取り除くことで照らしてくださったのです。今やキリストにある者は、神の栄光を見ることができるようになりました。義の太陽であるキリストが現れたことで闇は去り、私たちは大きな栄光の光を見ることになったのです。キリストの光の翼には癒やしがあり、罪と死の問題だけでなく、病の癒やしも現れます。
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### 2. 喜びと自由を与えるメシア (3-5節)
> 「3あなたはこの国民を大きくし、その喜びを増し加えられた。彼らは刈り入れの時に喜ぶように、獲物を分かち合う時に楽しむように、あなたの前で喜んだ。4それは、彼らが負っていた重荷のくびきと、その肩のつえ、彼をしいたげる者のむちを、ミデアンの日のように、あなたが打ち砕かれたからである。5戦場でとどろく兵士の靴、血にまみれた衣は、ことごとく火の燃えくずとなる。」
* **聖なる喜び**
彼らが主の前で喜ぶ喜びは、聖なる喜びです。これには肉体的な喜びだけでなく、霊的な喜びも含まれます。ルカの福音書10章に登場する70人の弟子たちが味わった喜びです。魂が救われ、神の前で喜ぶこと、これこそが聖なる喜びではないでしょうか。
* **大きな喜び**
3節は、収穫の時の喜びや、戦争に勝利して戦利品を分かち合う時の喜びに例えられています。農夫は種を蒔き、実を結ぶ時が最も嬉しいでしょう。給料をもらう人は給料日が、軍人は勝利の時が、競技者は優勝カップやメダルを手にする時が喜びの瞬間です。しかし、イエス様が来られて与えてくださる喜びは、一時的なものではなく永遠のものです。
* **自由と解放**
4節と5節では、栄光ある自由と解放が約束されています。これは目に見える肉の世界を通して、霊の世界を見せている御言葉です。イスラエルとユダはアッシリアの攻撃を受け、属国のように圧迫されていました。しかし、神様は彼らを救い出すことを約束されました。これは、イエス様が来られることで罪と死から永遠に救い出されることを約束された御言葉でもあります。これ以上に大きな救いと解放はありません。
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### 3. メシアの統治と主権 (6-7節)
> 「6ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。7その主権と平和の増し加わることは限りなく、ダビデの王座に座して、その国を治め、今より後、とこしえまでも、公平と正義をもってこれを堅く立て、これをささえる。万軍の主の熱心が、これを成し遂げられる。」
* **インマヌエル (イザヤ 7:14)**
イザヤ書7章14節には「見よ、処女が身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」とあります。創世記3章15節で初めて、女のしるしとして来られるキリストの約束が与えられました。神の御名の一つが「インマヌエル(神が私たちと共におられる)」です。神が人となって世に来られ、すべての救いの業を完成させ、復活・昇天されたキリストは、聖霊を送ることでインマヌエルとなられました。
* **低くなられたメシア**
6節に「ひとりのみどりごが生まれ、ひとりの男の子が与えられる」とあります。イエス・キリストは神の御子として来られましたが、最も低い僕の姿で来られました。天から地へ、十字架の代贖と苦難の死、墓への埋葬、そして陰府(よみ)にまで下られました。「生まれた」は人性を、「与えられた」は神性を意味します。神性と人性の両方を持つ、唯一の神の独り子を表しています。
* **高められるメシア**
6節から7節にかけて、キリストに与えられる称号が詳細に預言されています。イエス・キリストは神の御子であり、唯一の救い主であり、王の王、主の主であられます。キリストは必ず再び来られます。
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### 結論
キリストの到来には、どのような目的があるのでしょうか?
1. **大きな光として来られ**、すべての闇を追い出すために降臨されました。
2. **聖徒たちに自由と解放、そして喜びを与えるために**来られました。
3. **永遠の国を建て**、永遠の主権をもって統治するために来られました。
メシアを受け入れるすべての者は神の子となり、キリストが統治される天の御国を相続し、永遠にキリストと共に歩みます。この喜びの知らせを万民に伝え、キリストの再臨を迎える幸福な聖徒となるべきです。巡礼者のような聖徒は、いつ、どこで、何をしても、主の栄光のために歩むのです。