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1月11日(主日)説教要約

栄辱

1月11日(主日)説教要約

2026年1月11日(主日)

**題目:栄辱(栄光と辱め)**
**聖書:イザヤ書 2:2-4**

2 終わりの日に、主の宮の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりも高くそびえ、すべての国々がそこに流れて来る。
3 多くの民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の宮に登ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道を歩もう。」律法はシオンから出、主のことばはエルサレムから出るからである。
4 主は国々の間をさばき、多くの民に判決を下される。彼らはその剣を打ち直して鋤とし、その槍を鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。

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### **はじめに**

教会はクリスチャンの共同体です。教会はすなわちクリスチャンと同一視されます。エルサレムは、教会の模型として与えられた神の都です。

イザヤ書2章では、終わりの日に多くの人々が教会に集まるようになることが予言されました。エルサレムの栄光は、すなわち教会の栄光です。しかし、本分には、高慢な者たちは主が建てられる教会を去り、滅びるという警告も含まれています。

イエス様が建てられた神の国、すなわち天国は教会を意味します。福音はエルサレムから出発し、ユダヤ人の障壁を越えて異邦人にまで伝えられました。

教会の完成は、キリストの花嫁、すなわち小羊の妻として、そして新しいエルサレムとして表現されます。神は教会を通してご自身の栄光を現し、平和を与えられます。しかし、福音を拒絶し、偶像を崇拝して人間に頼る高慢な者たちは、神の裁きに耐えることができません。

人生の道のりを「栄辱(栄光と辱め)の歳月」を過ごすと言います。信仰の道にも、栄光の道と恥辱(辱め)の道があります。

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### **1. エルサレムの栄光**

**アブラハムとエルサレム**
エルサレムは、信仰の父アブラハムの時に初めて登場します。アブラハムが戦いに勝利して戻る時、サレムの王メルキゼデクが現れて彼を祝福し、アブラハムはメルキゼデクに十分の一を捧げました。ヘブル書5章と7章を見ると、メルキゼデクはイエス・キリストの模型です。
後にアブラハムは、エルサレムのモリヤの山で独り子イサクを神に捧げ、神はイサクの代わりに一頭の雄羊を準備して捧げ物として受け取られました。モリヤの山で、神の愛と独り子イエス・キリストの代贖の死、そして復活を啓示されました。

**ダビデとエルサレム**
ダビデはエルサレムを征服した王です。そして、そこへ首都を移しました。ダビデは掟を破り、人口調査を行ったことで神の懲らしめを受けました。それにより3日間で7万人が疫病で亡くなった後、ダビデは贖い金(代価)としてモリヤの山を買い、全焼のいけにえを捧げて疫病が止まりました。
この贖い金はイエス・キリストの宝血を意味します。したがって、キリストの血なしに天国の人口調査は不可能です。贖い金を捧げたことで疫病が止まったことは、死を終わらせる復活の予標です。復活は栄光です。

**ソロモンとエルサレム**
「ソロモンは、エルサレムのモリヤの山で、主の宮の建設に取りかかった。そこは、主が父ダビデにご自身を現された所であり、エブス人オルナンの打ち場にあって、ダビデが準備しておいた場所であった。」(歴代誌第二 3:1)
ソロモンはモリヤの山に、ダビデが定めた場所に聖殿建築を完成させました。ソロモンの輝かしい聖殿完成の栄光は、将来の新しいエルサレムの模型となり得ます。
しかし、このような栄光あるエルサレムの破壊は恥辱の歴史です。私たちの信仰生活も同様に、栄光か恥辱かが決定される時が必ず来ます。

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### **2. 教会の栄光 (2:2-3)**

「2 終わりの日に、主の宮の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりも高くそびえ、すべての国々がそこに流れて来る。3 多くの民が来て言う。『さあ、主の山、ヤコブの神の宮に登ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道を歩もう。』律法はシオンから出、主のことばはエルサレムから出るからである。」

**末日(終末)の教会**
末世(終わりの時)とは、イエス・キリストの初臨と再臨の間を意味します。2節に「終わりの日に、主の宮の山がすべての山々の頂に堅く立つ」とあります。イエス様が建てられた天国、すなわち教会は全世界へと広がっていくことになりました。

**福音教会の栄光**
使徒の働き1章8節でイエス様が仰った通り、福音はエルサレムから出発して地の果てまで広がりました。福音には神の栄光が現れます。苦難と迫害、そして殉教を通して教会は建てられました。教会の権威は、暗闇の権威、黄泉の門が打ち勝つことのできない栄光の権威です。福音を聞き、死んで復活されたイエス・キリストを信じる者は、暗闇と死から栄光と命へと移されます。

**シオンの栄光**
シオンとは「要塞」という意味です。ダビデがエルサレムを征服し、エルサレムの西側の山をシオンの山と呼びました。シオンは神が守られる要塞を意味します。シオンの栄光は、初穂である14万4千人が歌を歌う山です。「シオンの栄光、輝く朝、暗かったこの地が明るくなる。悲しみと嘆きが喜びとなり、シオンの栄光が照らしてくる」という賛美歌が思い浮かびます。

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### **3. 新しいエルサレムの栄光 (2:4)**

「4 主は国々の間をさばき、多くの民に判決を下される。彼らはその剣を打ち直して鋤とし、その槍を鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。」

**教会時代**
新約時代を別の言葉で「教会時代」と言います。また「聖霊時代」とも言います。真に水と御霊によって新しく生まれた人は、聖霊の支配を受けるようになります。聖霊は教会を一つにされます(エペソ 4:3)。教会の頭はキリストであり、体は聖徒です。教会は新郎なるキリストの花嫁です。言い換えれば、教会とキリストは一心同体です。キリストの栄光が、すなわち教会の栄光なのです。

**千年王国**
イエス様が再臨して治められる国は、1,000年の間続くでしょう。この国を千年王国と言います。レビ記23章に出てくる七大祭りの最後の祭り「仮庵の祭り」は、1,000年の間、キリストとその花嫁が共に楽しみ喜ぶ期間です。別の言い方をすれば、キリストの花嫁である教会が、キリストと共に栄光ある婚宴を行うと比喩すれば分かりやすいでしょう。しかし、キリストの裁きの座で脱落した人々は、1,000年の間、恥をかくことになります。

**新しいエルサレム**
千年王国が終わる頃、1,000年の間、底知れぬ所に閉じ込められていたサタンと悪霊たちが一時的に解き放たれ、最後の誘惑をし、キリストと教会に敵対しますが、滅ぼされて永遠の火の池に投げ込まれ、苦しみを受けることになります。
キリストが治めていた千年王国を、父なる神に捧げます。そして、第一の復活に預かれなかったすべての人が復活し、白い御座の裁きを受けます。その時、神のいのちの書に名前がない人は、サタンと共に永遠の火の池に投げ込まれ、苦しみを受けることになります。

「1 また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように整えられて、神のから、天から降って来るのを見た。」(黙示録 21:1-2)

これ以上に栄光ある場所があるでしょうか。完璧な神の栄光が現れる場所です。そこがまさに聖なる都、新しいエルサレムです。しかし、そこに入れない人々は、世々限りなく火の池に投げ込まれ、恥ずかしく苦しい思いをすることになります。

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### **結論**

旧約時代のエルサレム教会の栄光、新約の教会の栄光、そして完成される教会の栄光を一つにまとめてお伝えしました。その栄光ある聖なる都エルサレムに入る者は、どれほど幸いなことでしょうか。

しかし、本章の後半には、主の日に、高慢な者、不遜な者、自惚れる者、人間に頼る者の滅びについての警告の言葉で終わっています。

エルサレムの栄光と比較される「恥辱の人生」もあります。恥辱(Disgrace)とは、神の恵み(Grace)を受けられなかったことを意味します。聖徒は永遠の栄光に預かりますが、不信者は永遠の苦しみと恥を受けることになります。

永遠の栄光か、永遠の恥辱かは、生きている間に決定されます。神の栄光に到達する聖徒となりましょう。そして、自分が救われたなら伝道しましょう。そうすれば、栄光の国で永遠の報いを受けて生きることになるでしょう。

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