07月05日(主日)説教要約
ダビデの家の鍵
## 題名:ダビデの家の鍵
**The Key of the House of David**
**本文:イザヤ22:22-25**
> 22 わたしはまた、ダビデの家の鍵を彼の肩に置く。彼が開けば閉じる者はなく、彼が閉じれば開く者はない。
> 23 わたしは彼を堅い所に打ち込まれた釘のように固く据える。彼はその父の家に栄光の座となる。
> 24 その父の家のすべての栄光は彼に掛かる。その子孫と一族の者、すべての小さな器、杯から大きな壺に至るまで、皆彼に掛かる。
> 25 万軍の主はこう言われる。その日、堅い所に打ち込まれていた釘は緩み、折れて落ち、その上に掛かっていたものはみな壊される。主が語られたのである。
## 序論
本日の本文は、ヒゼキヤ王と預言者イザヤの時代に関係する出来事です。その時、シェブナが没落し、エルヤキムが登場することになります。
エルヤキムは、もともとヒゼキヤ王の宮廷で仕えていた人物でした。しかし、やがて出世し、ヒゼキヤ王を助けて国のために働くようになります。
しかし本文の内容を見るとき、私たちはエルヤキムがキリストのひな型であることを理解しなければなりません。本文の前の20~21節と本日の箇所を見ると、そこにはダビデの子として来られるイエス・キリストだけが成し遂げることのできる御業について語られているからです。
**ダビデの家の鍵を持っておられるのは、いったい誰なのでしょうか。**
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# 1.エルヤキムの出世(20-24節)
### ● ヒルキヤの子エルヤキム
「ヒルキヤ」という名前は、「主の受け継ぎ分」という意味です。その名を見ると、息子を通して主からの受け継ぎ分を得た人であるように思われます。
また、「エルヤキム」という名前には、「神が確立される」「神が立てられる」という意味があります。
国が危機に陥った時、神は彼をしもべとして立て、使命を果たすようにされたのです。
### ● 権力の移動
国庫の責任者であり、国の宰相であったシェブナの地位が、エルヤキムへと移されるということです。
神は、シェブナの着物を脱がせ、それをエルヤキムに着せると言われました。そして彼を「わたしのしもべ」と呼ばれました。
神の家のしもべ(召使い)であった者を、エルサレムの住民とユダの家の父とされるというのです。
まさに彼には驚くべき変化が起こったのです。
### ● 沈む星、昇る星
高い地位にいた人が退くことを「沈む星」と言います。また、彗星のように現れて出世する人を「昇る星」と言います。
イザヤ22:15-16を見ると、シェブナはエジプト出身の人物であったようです。彼は親エジプト政策を進めた人でした。しかし彼は貪欲と高慢によって没落してしまいました。彼は「沈む星」となったのです。
それに対してエルヤキムは、彗星のように現れた「新しく昇る星」のような人物でした。
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# 2.ダビデの家の鍵(22:22-24)
> 「わたしはまた、ダビデの家の鍵を彼の肩に置く。彼が開けば閉じる者はなく、彼が閉じれば開く者はない。」
### ● 神が与えられた権威
22:20-21において、神は彼に権威を与えられました。
この御言葉は、ヨハネの黙示録3:7に引用されていることで有名です。
「ダビデの家」とは、ダビデ王朝を受け継ぐ王国を意味します。
彼はユダ王国の強力な指導者となり、神の家ではしもべでありながらも、大きな権威を与えられ、神が彼を用いられるという約束の言葉なのです。
### ● キリストのひな型
エルヤキムに与えられた権威は、神の家のしもべとして仕えたモーセの権威にも似ています。また、神の家の御子として働かれたイエス・キリストの権威にも似ています。
彼はイエス・キリストのひな型であり、同時にリーダーの模範ともなる人物です。
今日、私たちも神のしもべとして、主から与えられた権威によって主の家で仕えているのです。
### ● 父の家の栄光の座(23-24節)
> 「わたしは彼を堅い所に打ち込まれた釘のように固く据える。彼はその父の家に栄光の座となる。」
> 「その父の家のすべての栄光は彼に掛かる。その子孫と一族の者、すべての小さな器、杯から大きな壺に至るまで、皆彼に掛かる。」
「神が確立される」という彼の名前の意味のように、神は彼の立場を揺るがないものとしてくださるという約束です。
エルヤキムは出世し、ユダとエルサレムの王宮、そして民を担う重大な使命を受けました。
彼の家は栄光の座となりました。まさに一族の栄誉と言えるでしょう。
国庫と宰相の職を与えられたのですから、どれほど大きな栄光であったことでしょう。
私たちもイエス・キリストを受け入れ、神の子どもとなるとき、神の子としての権威と力によって奉仕することができます。
エルヤキムが出世すると、一族や親戚は彼に頼ったことでしょう。
しっかりと打ち込まれた釘には、何かを掛けたくなるものです。現代的に言えば、人事の依頼や口利きなどもあったことでしょう。
エルヤキムの力が及ぶところには、彼の家族や親族がいました。
彼の影響が及ばないところはなく、助けを受けなかった人もいませんでした。
小さな杯から大きな壺に至るまで、すべてが彼に掛かっていたのです。
私たちはキリストの恵みによって生かされている者です。
私たちがイエス・キリストにつながっているなら、どれほど小さな杯のような存在であっても、歓迎され、用いられることができます。
大きな家には、金、銀、銅、鉄、木、石でできたさまざまな器があります。大きな器もあれば、小さな器もあります。
私たちがなすべきことは、その器をきよく空にしておくことです。
主人が用いたいと望まれる時にいつでも用いていただけるよう、あらかじめ備えられた忠実で賢いしもべとなりましょう。
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# 3.シェブナの没落(22:25)
> 「万軍の主はこう言われる。その日、堅い所に打ち込まれていた釘は緩み、折れて落ち、その上に掛かっていたものはみな壊される。主が語られたのである。」
### ● 権勢は十年続かず、花は十日紅ならず
権力は十年続かず、花の美しさも十日と持たないということわざがあります。
権勢も栄光も一時的なものであるという教訓です。
ペテロの第一の手紙にはこうあります。
> 「すべての人は草のようであり、その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に立つ。」
永遠に変わらないものは、神の御言葉だけです。
### ● 腐った釘、砕かれた器(25節)
この言葉は最後の節に置かれているため、エルヤキムについて語られているようにも見えます。
しかし、22:15-16に出てくるシェブナの没落を再び強調している言葉として理解するのがよいでしょう。
彼は異邦人であり、高慢で、虚栄心に満ち、親アッシリア政策を推し進め、結果としてアッシリアがユダを攻撃する道を開いた人物でした。
シェブナの最後は、25節の言葉のように悲惨なものでした。
しかし神は、エルヤキムとイザヤ、そしてヒゼキヤの時代に、アッシリア軍十八万五千人を一夜のうちに滅ぼし、エルサレムを守られたのです。
### ● 歴史を支配される神
歴史は神が支配しておられます。
今日でも、国が強くなり力を持つと、歴史を教訓として過ちを悔い改め、被害を受けた国に赦しを求める国もあります。
その一方で、歴史を歪曲し、周囲の国々との関係を悪化させる国もあります。
しかし神の時が来れば、歴史を歪め続けることはできません。
歴史の主権者は神だからです。
信徒たちは、ときに悔しく、憤りを覚えることがあっても、神が公正に裁かれる時まで忍耐しなければなりません。
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# 結論
一つの時代にあれほど尊く用いられたエルヤキムも、その使命が終わると、昇った星がやがて沈むように退いていきました。
私たちは、目に見えるものや人に頼ってはなりません。
永遠に変わることのない神だけを信頼しなければなりません。
人類の歴史は、神の御言葉のとおりに成就していきます。
神の摂理に従って、星は沈み、また昇り、そして再び沈みます。
しかし終わりの時には、すべての星が消え去り、明けの明星であられるイエス・キリストが再び来られるのです。
> 「わたしはまた、ダビデの家の鍵を彼の肩に置く。彼が開けば閉じる者はなく、彼が閉じれば開く者はない。」
この御言葉は、エルヤキムにおいて部分的に成就しました。
また、
> 「わたしは彼を堅い所に打ち込まれた釘のように固く据える。彼はその父の家に栄光の座となる。その父の家のすべての栄光は彼に掛かる。その子孫と一族の者、すべての小さな器、杯から大きな壺に至るまで、皆彼に掛かる。」
この御言葉も部分的に成就しました。
しかし、ダビデの子として来られたイエス・キリストは、この御言葉を完全に成就されます。
イエス・キリストは永遠に父なる神の家の鍵を持っておられます。
そして神の栄光の御座に着いておられます。
信徒たちは、その中の最も小さい者から大いなる者に至るまで、皆イエスにつながり、今から永遠に至るまで主とともに生きるのです。